今日からお盆休みです。

お盆になると、私の周りでなくなってしまった人のことを考えます。
そして、数年前、直木賞を受賞した天道竜太さんの「悼む人」の本を思いだします。

この本を読み終えたとき、子供の頃に買ってもらった本を夕暮れになるまで一心不乱に読みふけった時のような、えもいわれぬ充実感がありました。

それは、私の中の”悼む”という感情に響いたのだと思っています。

”悼む”という言葉には何か重く深い心の奥からの感情が感じられると思いませんか。

”悼む”を辞書で引くと、痛むと同語源だと書いてあります。
痛むの語意の中でも、「心に痛いほどの悲しみあ苦しみを感じる。」
「せつなく悩む。」という意味がそれに近いのだと思います。

でも、もっと私には深く豊かな感情のように感じられるのです。

亡くなった人を”悼む”だけでなく、過去に関わった人たち、過去の思い出深い出来事、頭の潜在意識の奥底の引き出しから、ショウノウの匂いのする大切な物を”あ~ぁ!これ・・・”と、両手で愛おしく持ち上げ、懐かしさに思わず感情が高まるような・・・

苦しみや悲しみだけでなく、楽しかったことも、支えになった出会いも、すべて”悼む”という感情の中に含まれると感じるのです。

そして、どんな出来事も、苦しみや悲しみよりも何故か豊かさの感情のほうがたくさん残っていることに気付かされます。

そんな心の”引き出し”にたくさんの豊かな出来事を刻み、また、一人で生きているのではないことに気付かされるのです。