ヨガ教室に通っています。
午前中の教室に行くことが多いのですが、夜の教室に行くこともあります。

午前中の教室は、すがすがしい気持ちでしっかりと体を動かせていますが、夜の教室では、眠気がおそい、次のポーズが遅れている瞬間があります。
そんな時、なにげに次に進む先生の態度に、ますますリラックスしているのです。

今日は”優しくあること”をお話しします。
これは私の永遠のテーマだと感じています。

”優しい”を辞書で引いてみると、
1.姿・ようすが優美
2.他人に対して思いやりがある
3.性質がすなおでしとやか
4.身がやせ細るような思い ひけめを感じる 恥ずかしい
5.控えめに振る舞い、つつましやか

私が考える”本当に優しい”ということとは、少し違うように感じます。

”優しい”の類似語の中に、「寛仁(かんじん)」という言葉があります。
その言葉引用に「寛仁大度(かんじんたいど)」という四文字熟語があるようです。
その音の響きは、”優しさ”を感じづらいのですが、その意味は大きなものでした。
”寛大で情け深く、度量の大きいこと”

つまり、「心がひろく、思いやりが深く、些細なことにこだわらない」様子でした。
この意味は、グッと、心に響きました。

人は、表面上で”優しさを示すことがあります。
そしてその言動に癒されることも、もちろん多いのです。

でも、この言葉の揺るぎなく深い心情は、存在だけで癒されるような広い世界観を感じます。
そして、美しく静かで深い湖面が私のイメージとして膨らむのでした。

大げさでなく、しっかりと真摯な気持ちをもって”寛仁大度”で歩んで行きたいと感じているのです。