五木寛之さんが”人間の覚悟”という本の中で、日々起こる、子殺し、親殺し、無差別殺人に憂い、今の時代を
「これほど人間の命、生命というものに対する軽さがドメスティックに進んでいる時代はないのではないか」
と、言っています。

そして、そういう世の中だと”覚悟”することは誰にも可能だとも言っています。

その”覚悟”とは、
仏教用語で、「迷いを去り、道理をさとること」、
他に「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、
そして「あきらめること、観念すること」
あきらめるとは”明らかに究めること”だといっています。

私は日々の生活の中で、この”覚悟”の2番目語意の「予想して心構えをする」ということを、知らず知らずの内にしていることに気がつきました。

この先起こるであろう、些細な選択の道から予想して、その瞬間にうろたえずにいたいと思っているからです。

こうすることは、「迷いなく道理を悟ること」にもなり「明らかに究めて観念すること」にもつながっていると感じました。

そして、さらに大きなことは”心構えをし、道理をさとり、明らかに究めることで、次のステップが見えてくるということです。

五木寛之さんもきっとその為に、あきらめるではなく”明らかに究める"ことだと言っているのだと強く感じました。

次のステップに踏み出すために、”覚悟”することが必要だと感じています。