夢塾 ~日々の気付き〜

人生を豊かに変える気付きを書き込みます。

カテゴリ: 仕事

会計の仕事をしていると、数字「9」の不思議に出会うことがあります。

何かの金額が合わないとき、まずその差を「9」で割り算してみます。
もし、割り切れたら入力ミスではないかなぁ~と、先ずは考えてみます。

例えば、その日の現金と現金元帳に270円差があり、元帳の方が現金より多かったとします。
そうすると270÷9=30・・・3+0=3

現金が合っていると仮定すると、元帳の入力が270円多いことになりますから、
百の位と十の位の数字を比較して、百の位が十の位より「3」多い入力情報を探すのです。
410,520、630、740、850、960です。(1桁目は何が入っていても先ずは無視します。)
そして実際入力しなければならなかった数字と検証してみると、
140、250、360、470、580、690が正しい数字だったということが多々あります。
そうなると、始めの入力との差が270円が見つかることになります。

この感覚を覚えると、入力ミスはアッという間に見つかることが多くなります。

「9」という数字は神秘的な数字ではないかとも思えてきます。
「9」=苦しむ といわれてあまり好かれない数字なのですが、私にとっては気付きの多い数字となっているのです。




今日でブログを書き始めて111日目になります。
それが?という感じなのですが、数字が並ぶと何故か”ラッキー!”と思ってしまいます。

きっと、今までの人生の中で数字が並ぶことがラッキーと繋がって楽しいことで有ったのだと思います。(あれ?パチンコかな?)
人間の感情っておもしろいものですね。

今日は、”仕事はどうでしたか?”という話をします。

先日テレビのニュースで、職業体験ができる施設で、夏休みの子供たちが様々な仕事の体験をしている姿を紹介していました。

指さし確認をしながら得意顔で電車を運転する子供たち
冷たいシェイカーに身震いしながら、バーテンダーとしてカクテルジュースを作る子供たち
その姿は真剣で、笑顔に満ちています。

そして、そのニュースの最後にレポーターが言うのです。
「仕事はどうでしたか?」

すると、子供は答えます。
「楽しくて、うれしかった。」と・・・

これが、仕事をする原点なのかもしれません。
自分が楽しく、それで喜んでくれる人がいたからうれしかった。

子供のころ、仕事にあこがれるとき、そこで働いている人の姿はキラキラと喜びに満ちていました。
そして、そこで働く”夢の自分”も、キラキラと輝いていたのです。

実生活の中で、どれほどの人が仕事を楽しんでうれしいと思っているでしょうか。

楽しいと思うことは、自分の気持ちを切り替えることができれば、比較的に簡単なのかもしれないと思っています。
でも、うれしいと感じることは難しい・・・
それは、ほめてくれる人、感謝してくれる人が必要だからです。

周りの人の、些細な行動も察知して感謝できる自分で有りたいと心から感じているのです。





「日本でいちばん大切な会社」という本を読みました。

一晩で、読んでしまうほど素晴らしい内容でした。
本当の経営とは何かを、仕事とは何かを、5つの企業を紹介していく中で問いかけています。

会社経営の「五人に対する使命と責任」を果たすための活動
①社員とその家族を幸せにする
②外注先・下請企業の社員を幸せにする
③顧客を幸せにする
④地域社会を幸せにし、活性化させる
⑤自然に生まれる株主の幸せ

人の幸福とは
①人に愛されること
②人にほめられること
③人の役に立つこと
④人に必要とされること

だと、書いてあります。

仕事でこの幸福感を描ける企業で勤めてみたいと心から思います。

でも、そんな企業は中々ありませんし、今から探すわけにもいきません。

それならば、自分の努力で自分の周りを変えることはできるのかも・・・

企業全体を変えることは不可能かもしれませんが、少なくとも自分自身がそれを実践する。

そこで、影響を受けた人たちはきっとその後の人を育てます。

いつか、企業全体にその輪が広がることを願って・・・・



”遊牧サラリーマン”・・・

これから時々、この題材で私のサラリーマンとしての”来し方行く末”をご紹介していきたいと思います。


私は仕事をしていると、ほんとに楽しいと思います。

そんなわたしの姿は、周りから見ると、少々ヘンテコ??

実際、自分を第三者的にハスに構えてみてみると、”この人可哀そう~”なんて状況なのかもしれません。

組織の中では、努力や実績だけではどうにもならない壁があるように感じています。

私は20歳の時、大手化学品製造メーカーの地方工場の経理事務として入社しました。
その会社は、とても家族的で不慣れな私を大勢の方々が、温かく育ててくださったのです。
しかし、入社後2年目にその工場での製造は、大阪工場で大規模に行うことが決定され、入社後延べ6年半で閉鎖となってしまったのでした。

当時、そこに勤めていた社員は360名ほど・・・
転勤した人、
会社の斡旋で地元企業に就職した人、
自力で就職先を見つけた人、
閉鎖後の敷地内に残った100%子会社に移籍した人
など、悲喜こもごもな状況となりました。

100%子会社に移籍することとなった私の”遊牧サラリーマン”生活はココから始まったのです。





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