夢塾 ~私の夢探し~

人生を豊かに変える毎日の気付きを書き込みます。

カテゴリ: 覚悟

昨晩は、梅雨明けのような激しい雷雨でした。
天気予報では気温が下がるとのこと、体調管理に気をつけなくてはなりません。

今日は自信を持つことをお話しします。

”自信”を辞書で引くと
自分で自分の能力や価値などを信じること。
自分の考えや行動が正しいと信じて疑わないこと。
とあります。

自分の能力や価値はどのように評価すればいいのでしょう。
自分を過小評価も過大評価もしないことが必要なように思うのですが、
ともすれば、立場にあぐらをかき過大評価をしてしまったり、
こんな私に何ができるのだろう・・・と過小評価をしてしまいがちです。

何かが起きたとき自分が必要とされるなら、その部分は他人が”この人なら何かできるのではないか”と評価してくれている部分と信じていいのではないでしょうか?
また、自分がしたいと思っていることも信じれる部分となると思います。

「きっとできる」と自分が自分を「信じて疑わないこと」
そして、その方法を試行錯誤しながら真摯に考え抜くこと。

やらなくてはならないことが、大きければ大きいほどその壁にあたる風は強くなり厳しい評価も付きまといます。

「自分にはできないのでは」と疑心暗鬼にもなります。
疑心暗鬼は、自分の心をおとしめることにもなるように思うのです。

他人の評価が気になる。
自分の言葉に自信がなくなる。
自分の行動・判断に自信がなくなる。
他人から評価されなくなる。
という悪循環に繋がってしまうように思います。

厳しい評価も、人が真剣に考えてくれているのだと思うこともできますね。
何も心に留めていなければ、無視されるはずですから・・・

自分の行動が、利己主義でなく利他主義であることを確認しながら行動する。
本当に自分ができることを見極め、できないことは他にゆだねる。

その自分自身への正当な評価が自信につながるように感じています。
自らを信じて、そして周りを信じて一歩一歩進んでいきたいと思っているのです。

淡々とした日々が続くよりも、さまざまなことが起きているときのほうが、気付きが多くなります。
それは、起きていることを振り返りながら、自分自身をも振り返ることができるからだと思います。

今日は”目覚める”ことをお話しします。

”目覚める”を辞書で引いてみると
1.眠りから覚めること
2.感情、知覚、本能など、ひそんでいたものが動き出すこと
3.迷いが消え去って本心に立ち返ること
とあります。

確かに、何かが起きているときは感情、知覚、本能が敏感に動き出しますね。

そんなとき、自分の目指すものは本当に何かと考えていくと、
自分自身の利己主義な部分が見えてきます。

そして、自分が本当に目指していることに対して、間違っている自分自身を修正しなければと、思うことができます。

これが、迷いが消え去って本心に立ち返ることなのかと思います。

となると、すべての意味が繋がっていることになりませんか?
「起きていることに気付き、感性が動き出し、迷いが消え去り本心に立ち返る」

でも、人間は悲しいかな忘れっぽいし、わがままです。
「起きていることに気付き、感性が動き出し、迷いが消え去り本心に立ち返る」
ことを、何度も繰り返しながら、このレベルを上げていかなければ、
いつの間にか”元の木阿弥”になってしまっているようです。

起きていることを、真摯に受け止め目覚めることが必要なようです。

夏休みも、もうすぐ終わりです。

友人が、大学生になり親元を離れて行く息子の事を振り返りながら
「家族5人で過ごせた時期は、ほんの10年あまりだったのよ」
と言っていたのを思い出しました。

例えば、3人の子供がいて、3歳づつ年が離れていれば3人目の子供が生まれたとき一番上は6歳・・・
それから家族5人の生活となり、18歳まで家族5人で過ごせるのは12年なのです。

12年なんて、過ぎてしまえば”アッ”という間のように感じます。
これを思うと、1日、1日を愛おしみながら過ごしたいものですね。

今日は、充実感を得ることをお話しします。

”充実”を辞書で引くと、
必要なものが十分に備わること。
中身がいっぱい満ちていること。
これでは、お皿の上にのせられたお菓子や果物といったおももちがあります。

月に1度参加しているセミナーで、”充実感”を得るための条件を示されました。
①明確な目標があること・・・不明確では達成できない
②困難を伴うこと・・・達成できにくいほど良い
③努力をすること・・・実らないほど良い
④あきらめないこと
⑤自発的であること
⑥結果が貢献に繋がること

これを書きながら、”あ~ぁ!そうだ”と自分自身で思っています。
六つの条件は、どれも依存する気持ちが有っては達成できません。

自分自身の強い信念を持って、進めていくこと
どんな困難があろうとも、継続すること
自発的で利他的で有ること

今まで、起きてきたネガティブな現象もこの”充実感”を得るための覚悟を試されているように感じています。
目標とする、到達点が見えているか。
理解を得ることが困難で有ることが、見えているか。
理解を得られなくても、努力し続けられるか。
あきらめないか。
本当に自分でなければできないと思っているか。
結果が未来に繋がるか。

そろそろ、覚悟を決めなければなりません。
覚悟を決めたら、晴れやかな笑顔で頑張り続けなければと考えているのです。



最近、様々な人間関係に翻弄され、心の元気がなくなっていました。
そんな夜、眠れなければ起きて何かをすることにしています。

今朝も、そんな日でした。
したい計画のイメージが描けていないことが、元気がなくなった最大の理由だと感じました。
それを人間関係のせいにしていました。

ネットで、パワーポイントを購入
Podcastの視聴・・・うん!うん!だんだん元気が出てきました。

中村文昭さんのPodcastの中から「引き算の人生」の話をします。

生まれてから死ぬまでの間、あなたは人生を積み上げていくと考えていませんか?
私も、そう思っていました。
自分のスキルを磨いて・・・自分の経験を通して・・・人脈を作って・・・なんて

でも、本当に大切なことは”人生の最後をどのように迎えるか”です。

あるおじいさんの話を添えてみます。

~源じいさんと小鳥たち~
源じいさんは、小さなときから小鳥が大好きでした。
でも、若いときには仕事が忙しく小鳥たちの事を考えることもなかったのです。

そんな源じいさんも仕事を辞め、毎日の退屈さにどうしたものかと考えていたある日、
庭の立木から、小鳥の声が聞こえてきました。

そしてその声は、源じいさんの心を揺り動かしてのです。
だって、”おじいさん、一緒に・・・一緒に・・・”と聞こえたのですから、

その日から、源じいさんは小鳥たちのために庭を整え始めました。
何をするのも小鳥の気持ち、
何をするのも小鳥と一緒、

そんな、源じいさんも年をとり、いよいよ臨終の時を迎えるそのとき、
源じいさんを見守る家族とお医者さん、看護婦さんは奇跡の光景に出会ったのです。

源じいさんの布団の上に、庭から小鳥たちがいっせいに集まりはじめ、
源じいさんと会話を始めたのです。

ピーピー、チーチー、ピヨピヨ、チュンチュン・・・
それを見た源じいさんは本当に穏やかな微笑みを浮かべ最期の時を迎えたのでした。

日蓮上人は
”先ず臨終の時を習うて、後に他事を習うべし”
と、言っておられます。

これが、まさに引き算の人生でしょうか。
先ずは目標を決めそれに足りないものを補う人生。

一生を終えた後に残るものは、集めたものでなく、与えたものである。

豊かな人生を目指して、理想の自分を描いてみたいものです。


責任が重くのしかかることがあります。

その責任が果たせるだろうか?
責任を負いつつ周りを信頼していくことができるだろうか?
自分の責任を周りに押し付けてしまわないだろうか?

と、その責任が始まる前から考えてしまいます。

でも、その責任をできるだけ”楽しく乗り越える”ことはできないかと思い始めています。

”楽しく乗り越える”には、まず自分自身が楽しくなる工夫をしなければなりません。
その責任あることを、徹底的に楽しむにはどうしたらいいかを描ききる。

だって、楽しんでいる人に出会うと、いつの間にか自分まで楽しくなってしまうことがありませんか。
そして、その楽しそうなことは、ついつい手伝いたくなってしまいませんか。

”あ~ぁ、これだ。”と思いました。
そして、少し気持ちが楽になったのです。

成し遂げるとは、自分のためであり、人のためになること。
責任を果たすことに、追い詰められる前に、楽しく乗り切るイメージを膨らませたいと願っているのです。




今日はちょっとわがままな話です。

今、自分たちの周りで起きている改善を求めたいと考えていることについて、いくつかのアプローチの方法がありました。

そのひとつを、自分が想像もしていなかったタイミングで、依頼されそうな”うわさ”を耳にしました。
驚いた自分がいました。本当に考えてもいなかったので・・・

そうなると、私の頭の中はイメージが膨らみ始めます。
目指す目的はどうしようか
どんな行動が感動を呼ぶのか
誰にサポートしてもらえばいいのか・・・

ふと、気がつくとやる気まんまんになっていて、周りもそんな雰囲気・・・
でも、不安がいっぱいなのです。
”いや、待てよ。”自分が行動する事で、今までその改善のためにサポートしてくださっている方々の行動を無駄にしないか?
本当に行動できるのか?
目的に揺るぎはないか?

マイナスのイメージが膨らみはじめます。

そんなとき、私の弱点を指摘してくれる同僚がいました。
”ひとりでは、できない”という事を・・・

”じゃあ、本気で考えてそうするか、しないかを決定して!”と涙ながらにわがままを言っている私がいました。
それから、みんなは一生懸命考えてくださったようです。

しかし、そのときの私はほぼ100%依頼はされないだろうと想像していたのです。
みんなにそこまでの覚悟があると思えなかったから・・・

でも、現実は”お願いします!”と、みんなで改善を求め行こうとする言葉が帰ってきました。

私の甘い考えかもしれません。
私がどれだけ行動できるかも未知数です。
でも、みんなを信頼し、みんなで頑張ってみようという、
”うわさ”を聞いたときとは違うどっしりとした「覚悟」が生まれたのです。

このことは、本当に勉強になりました。
相手も自分も「本気の覚悟」が決まり、一体感という”臨場感”生まれてきました。
私ではなく、みんなで行動するという”感覚”です。

まだまだ、始まったばかりです。
ここから、どんなイメージが広がり実現していくのかが、楽しみになってきました。



ブログをかき始めて4ヶ月目になりました。
そして、この投稿が70件目となります。

見てくださっている、皆さん!
ありがとうございます。皆さんがいなければ続けられないことだったと心から感じています。

ネット社会になり「人間関係が希薄になった」と聞くことが有ります。
私自身もこのブログを始める前はそう感じていました。
でも、これは人間関係をつくる新しいツールであって、使い方を間違わない限り、時空を超えた良い方法なのだと感じてるのです。

今は、自分からの発信だけなのですが、もっと皆さんとつながっていると感じることのできるブログのしていきたいと考えています。


今日は、頑張ることを考えてみます。

頑張っているとき、そして頑張り続けているとき・・・
空しさ(虚しさ)が、ムクムクと心を支配してしまうことがあります。
そしてこの空しさ(虚しさ)は、考えれば考えるほど、心の中から取り除くことができなくなります。
そして、頑張っている事をあきらめてしまう・・・

この”あきらめる”ことは、「明らかに究めた」として、少し時間を置いていいのだと思うのです。

すると、やはり自分がやらなくてはならないことならば、次のきっかけが必ず生まれてきます。

でも、この時に前と同じ心ではきっとまた空しさ(虚しさ)が襲ってきます。
それは、自分が頑張っていることを誰かに認めてほしいという”依存”が支配してしまうからです。

今、頑張っている事を第三者の視点で眺めてみてください。
「それは、すばらしいことですね」
「すばらしい感動をありがとう」
「必ず、続けてください」
なんて、言葉が聞こえてきませんか?

これでいいのです。そうやって自分で時々自分を褒めながら、頑張り続けてみる・・・
すると、何かしらに貢献している自分がはっきりと見えてくるはずです。

世の中で自分は決して一人ではなのです。
一人にしているのは自分自身・・・

頑張ることは、顔を晴れやかに保つことだと聞いたことがあります。
晴れやかな顔を保つことができる頑張りを、続けて行きたいと思っているのです。



6月から月に1度、東京までセミナーに通っています。

このセミナーは、降り注ぐように情報が注がれ、メモしきれないようなセミナーではないことに、3回目を終えて気がつきました。

このセミナーは、私の大好きな”夢”をテーマに、”夢”を描ける自分を探すこと、そして本当の”支援”とは何かを確認することであるように感じています。

”夢”を描くためには自分が「自立」していなければならないこと。
”支援”するためにもまた、相手も自分も「自立」していなければならないこと。

私は今まで、「自立」してると思っていましたが、あらためてさまざまな日常を振り返ると「依存」していることに気がつきます。

「依存」することと、相手をリスペクトし、信頼し、ゆだねることは大きく違うことだと感じています。

今、早急にどうするべきかの決定しなければならないことがひとつあります。
それはまさに、自分も周りも「自立」をするための重要な決定事項だと感じています。

どう行動し、発信すれば、今後の自分の「自立」のためにも、周りの「自立」のためにも最善の方法となるのかを、しっかりと考え抜きたいと思っています。

まだまだ、私の中の意識改革の挑戦は続きそうです。

最近、さまざまなところで
「過去は変えられるが、未来は変えられない」という言葉を聞きます。

”エッ?逆じゃないの”って、思いませんか。

私は、逆だと思っていました。
でも最近は、”なるほど”と思い始めています。

過去の選択を”あの時、あちらを選んでいたら・・・”とか
”あの時、もう少し頑張っていたら・・・”と考えながら、今の自分と違う姿を想像することは自由自在に可能ですね。

でも、未来は今の自分に続くものですから、夢のようなことだけを想像していてもその通りには変えられないのです。

つまり”今”が大切だということになります。

”今”最善を尽くすこと
”今”工夫と改善を繰り返すこと
”今”夢を描ききること

そうすれば、未来は変えられるのではなく、起こるべくして起こることになります。

”今”に感謝し、”今”を考える。
そして、豊かな”今”を生きること・・・
それが、明日に続いていくことになるのです。

今日も豊かな1日となりますように・・・

五木寛之さんが”人間の覚悟”という本の中で、日々起こる、子殺し、親殺し、無差別殺人に憂い、今の時代を
「これほど人間の命、生命というものに対する軽さがドメスティックに進んでいる時代はないのではないか」
と、言っています。

そして、そういう世の中だと”覚悟”することは誰にも可能だとも言っています。

その”覚悟”とは、
仏教用語で、「迷いを去り、道理をさとること」、
他に「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、
そして「あきらめること、観念すること」
あきらめるとは”明らかに究めること”だといっています。

私は日々の生活の中で、この”覚悟”の2番目語意の「予想して心構えをする」ということを、知らず知らずの内にしていることに気がつきました。

この先起こるであろう、些細な選択の道から予想して、その瞬間にうろたえずにいたいと思っているからです。

こうすることは、「迷いなく道理を悟ること」にもなり「明らかに究めて観念すること」にもつながっていると感じました。

そして、さらに大きなことは”心構えをし、道理をさとり、明らかに究めることで、次のステップが見えてくるということです。

五木寛之さんもきっとその為に、あきらめるではなく”明らかに究める"ことだと言っているのだと強く感じました。

次のステップに踏み出すために、”覚悟”することが必要だと感じています。

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