夢塾 ~私の夢探し~

人生を豊かに変える毎日の気付きを書き込みます。

カテゴリ: 希望

ブログを初めて、5ヶ月と15日人との出会いの激動の時間を過ごしてきたように思います。

その頃、東京までセミナーに通うことを決断しました。
広島に住んでいる私が、東京までセミナーに通う・・・
今、振り返れば、無謀な決断でしたし、大きな冒険でした。

でも何故かそこには人と人との繋がりが待っているような漠然とした期待があったのです。

そして、それは裏切られることは有りませんでした。
そこで出会った人、そこで出会った人からのお誘いで多くの方々と出会うことができました。
嬉しいことに、その数はきっと100人を超えていることでしょう。

皆さんそれぞれに、”夢”を持ちまたは”夢”を持ちたいと日々、キラキラと輝く目で生きておられます。
しかし、そんな皆さんもこれまでの人生が順風満帆かと言うと決してそんなことはないのです。

多くの人たちが、今まで私が経験したこともないほどの苦しみや悩みを乗り越えていました。
そしてそこから、強い力を身につけていたのです。

仲間を支援しようとする、熱い心
自分の思いを達成しようとする、熱い心
自分の事業を成し遂げようとする、熱い心

挫折でつちかった、冷静な頭
本当の支援(助けすぎない)の為の、冷静な頭
自立を模索する、冷静な頭

私より若い、多くの方々の真摯な姿勢に学ばされた5ヶ月間でした。

こんなすばらしい若者たちがいることに、感動し感謝し・・・
明日の世界は明るいと思えているのです。

そして、私も動き出さなくては・・・と考えているのです。

大好きなコーヒーの豆を、月に1度買いに行くお店があります。
そのお店に行くとオーナーの男性と、30分1時間と話をしてしまいます。

彼は、私が偶然知り合った年下の女性の同級生でした。

ある日、私は偶然の出会いのすばらしさを思いながらそのお店を訪ねたとき、
彼からこんな話を聞くことができたのです。

「今度お店からDMが届きます。その葉書持ってきてくれると、少しお安くなりますから・・・」
「そうなんだ。ありがとう。」「エッ!、お店開いて何年ぐらいだっけ?」
「もうすぐ10年になります。」
「へ~!凄いね。この時代の10年間・・・事業を続けられて事は意味があるよね。」
と話す私に、彼はこの事業を始めるきっかけになったある出会いの話を始めたのです。

彼は、ある会社をリストラされ、途方にくれていました。
幸いにも、ご両親は健在で実家で過ごすことができますので、さしあたり衣食住には困りません。

でも、人生これからという時に大きな壁にぶつかったのです。
サラリーマンとして働くべきか、何か事業を始めるべきか?
でも、俺に事業なんてできるんだろうか?

そんな時、いつも訪ねるハローワークとは少し離れたところを訪ねてみたのです。
そこでもこれと言った職は見つからず、帰る途中に”自家焙煎コーヒーの店”が目に入ったのです。

ここに寄ってみよう!
彼は運命の糸に引き寄せられるようにそのお店に入ったのです。

店内を見ながら、意を決してそのお店のオーナーと思われる女性に声をかけました。
「自家焙煎コーヒーのお店をやってみたいと思ってるんですが・・・・」
彼の突然の問いかけに、女性オーナーは驚きましたが、彼の切実な思いをくみ取ったのか
その地域で幅広くその事業を展開しているあるオーナーを紹介してくださったのです。

それから彼は、その紹介されたオーナーのお陰で半年後にはお店を持つこととなったようでした。

出会いから半年間は夢物語のような展開だったのです。
それは自分の力だけでなく、支援の輪が広がる・・・
自分の夢があきらめないのではなく、あきらめきれなくなる瞬間でした。

そして、彼は最後にこう言ったのです。
「だから、この事業は続け続けて行かなければならないと思ってるんです。」
「それが、その人に見せられる自分の感謝のしるしだから・・・」

人は毎日、様々な人との出会いがあります。

心にいくつもの種を持ち、芽が出ないその種にも水をやり続けよう。
そうすれば、いつかその種に合った栄養が”ぽたり”と一滴、その種に落ちてきっと大きな実を結ぶこととなる。

そんな、夢を見たた朝のような、すがすがしい感動と感謝に包まれたのです。

ある日、引き継ぐべき業務を教えていただけないことを、ある先輩に相談しました。
相談と言うより、それは愚痴だったのです。もっと、違う言葉を期待していた・・・

でも、そのとき先輩は、私の人生の指針となる一言を投げ掛けてくださいました。
「引き継ぐべき書類まで隠されてる訳じゃなかろう。自分で調べれみればいい。」

青天の霹靂のように、その言葉は私の頭から身体の中を突き抜けたのです。
”そうか!自分で調べられるんだ。”

それは、税務申告の書類でしたが、過去5年間の資料を用意し勉強を始めたのです。
もう、かなり前の話であることと、会社の規模も小さかったので、それほど難解な申告書類は有りませんでした。
5年分もさかのぼれば、何とか概略はつかめるようになったのです。

言葉と努力と成果が一致した瞬間でした。

それから先は人生の節目ごとに、その言葉が私の心で響いています。
”自分でやってみろ!・・・そうだ、自分でやってみよう!”

この言葉が、誰にでもこれほどまでに心に響くかと言うと、そうではないことも事実です。
良き時に、善き師に出会うこと・・・
その出会いの瞬間を逃さず、柔軟な心を持つことを、忘れてはならないと思います。

心に響いた事に従って、努力と工夫を繰り返し、小さな成果を積み重ねること
そんな些細な事が、人生を豊かに導いてくれることに気付かされたのです。

残念な事に、その先輩にこの世でお会いすることは叶わなくなりました。
でも、いつかお会いできることがあれば、
「あなたが、教えてくださったことはこんなに私の生き方を変えました。」と、楽しくご報告したいものだと
感謝を込めて、思っているのです。

日中はまだまだ暑い日が続いています。
九月下旬というのに、庭に出ると蚊に刺されていしまいますが、
秋の気配はいたるところに見えていますね。

今日は旅に出ることをお話しします。
昨年の今頃、エジプトを旅をしました。

長い年月に風化していく建物を見ながら、そこに暮らしたであろう人たち、
そこで起きたであろうさまざまな葛藤に思いをはせ、感慨深い旅になりました。

旅の計画を思いつくと、萩原朔太郎の一片の詩が私の心に浮かび出ます。
”旅行の楽しさは、旅の中にもなく後にもない。ただ旅に出ようと思った時の海風のように吹いてくる気持ちの中にある”

”ただ”という言葉と、”海風のように吹いてくる”というくだりには、心がキュンと締め付けられるほどの感動を覚えます。

ここを旅しようと・・・・と決めたとき、その地には暮らしていたほどの親近感を覚えます。
そして、そこで目にするであろう過去の遺物に、そこで暮らしたであろう人たちの日々の暮らしの歴史を想います。

ツアーで行く旅など、それほどの出会いも、深くその地に触れることもなく、
”行ってきた。”と、いうだけのことで終わることもあります。

でも、”海風のように吹いてくる気持ち”を楽しんでいればいるほど、
その旅を充実したものにできるような気がしているのです。

この気持ちは旅だけでなく、何か新しいことを始めるときにも通じるものがあります。
ワクワク、ドキドキとする気持ちを楽しむこと。
その気持ちが、新しい感性、新しい出会いを招いてくれていると感じています。

”だた””海風のように吹いてくる”気持ちを大切にしたいと思っているのです。

日曜日の朝は、少しゆっくりして”ぼー”とした時間です。

”真摯”は私の大好きな言葉です。
真摯とは、まじめで熱心なことそしてその様です。

毎月一回、6ヶ月間東京までセミナーに通っています。
そこに集まるメンバーは、
「夢を持ちたい」 「夢を叶えたい」
「誰かのためにこんなことをしています。このことをもっと広げていきたい」
「誰かのために何かをできないか。」
などと、考え続けている人たちです。

人生の中で悩んでいること、考え続けていることの”縺れた糸”を解きほぐすように
語られるセミナーでの言葉は、多くの気付きを与えてくれます。

そんなセミナーが終わった後の、懇親会ではさらに話が弾みます。
多くの言葉をかけなくても、心の中で気にかけ心配していることを、心に留めていてくれている人たち

「新しい名刺を作りました。見てください。」
と、たくさんの夢が書き加えられた名刺を渡してくれる人
「新聞に載りました。」
と、すばらしい社会貢献のお裾分けをしてくれる人
ボランティアのスタッフとして、苦しい胸の内を話してくれる人
そして、その苦しい胸の内を話しながら、様々な人の言葉を心の中に落とし込み、
自己解決に導いて、満面の笑顔に変わっていく人

みんな、みんな、自分のことでなく”人”のことを考えている。

でもそんな人たちの、”来し方(過去)”を聞くことができると、
みな一様に、人との関係に苦しみ続けた人、苦しみ続けている人たちなのが分かります。

苦しんでも、悩んでも、やはり”人”と繋がり、世の中”社会”をよくしたい! と考える。
この世の中で、人との繋がりがどれだけ重要であるかが分かります。
苦しみの姿勢が各論(自分自身の問題)から総論(世の中の問題)へと変わったとき、
社会貢献という、真摯な心を持つ大きな原動力になるのだと感じているのです。

一人の小さな人間のすることなど、些細で何の影響力もないのかもしれません。
でも、知恵を働かせ、考え続け、挑み続け、イメージを描き続けるならば、
世の中(社会)を変えるスパイラルが起きるような気がしてくるのです。

仲間を助け、仲間に助けられながら世の中(社会)を変え続けて行きたいと思う人たちと
何かができる自分になりたいと願っているのです。

その人から知らせがあると、心が爽やかになる人がいます。

その人は、電話口で常に明るく”はじけるような声”で、話が始まるのです。
ほんの数分の会話であっても、大きな得をしたような気持ちになってしまいます。

生きていると、様々なことがあります。
この人のこの声を聞くと、癒され、励まされる・・・
そのようでありたいと思いますが、現実はなかなか厳しいようです。

ついつい日常の煩雑なことにかまけて”おざなり”になってしまうときがあります。

そうそう、”なおざり”と”おざなり”の意味の違いをご存じですか?

今、このブログを書いていて辞書機能から気付かされました。
”なおざり”・・・おろそかに放っておくこと
”おざなり”・・・誠意にないその場限りの間に合わせであること
どちらもいい加減であることには間違いはないのですが、未来が少し違うようです。

”なおざり”には未来はありません。ほったらかしたままです。
”おざなり”は一時的ですので、考えていないわけではないことになります。

せめて”おざなり”でありたいと思います。
でも、”おざなり”になるとき、そのことが一時的であることを記憶しておかなければ、
言葉だけの行動になって実態は”なおざり”だということになります。
そして、こんなことが、多く反省もしているのです。

爽やかな人の言動の中には”なおざり感”はないように思います。
言動のなかに、相手をリスペクトした思いを感じることができる。
周りの人を、誠意と信頼の空気で包み込んでしまう。

まだまだ、遠いようですが少つづでも近づいてみたいと思っているのです。

この暑さはいったいいつまで続くのでしょう。
10月まで暑い日が続き、秋が短く、冬が寒いという長期予報が出ているようです。

日本の移ろう四季の美しさを刻々と味わうことは難しいようですね。

今日は、目的をもって動き出すことをお話しします。
何かの目的があっても、動き出せないことがあります。
心が萎えていたり、目的が曖昧であったり・・・

心が萎えているいるときは、自由な発想も自由な行動も起こせないときです。
少し時間をかけて、心を整える準備をするときなのかもしれません。
こんな時、”良きときに、善き師にに出会うこと”これができるチャンスなのだと思っています。
心は萎えていても、心の目だけはしっかりと大きく見開いて、善き師を探してみてください。

目的が曖昧であるときは、目的のための動き方が分からないと感じています。
マネジメント、パーソナルマネジメント、メンタルマネジメント、ナレッジマネジメント・・・
さまざまな本を読んでみますが
なるほどと思っても、実際に活用するのは難しい・・・

今話題の、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの”マネジメント”を読んだら」という本があります。
この本では、女子マネージャーが「ドラッカーの”マネジメント”」の本を参考に、野球部を強くして行く課程が描かれています。
ちょっと敷居が低く、これなら動きだけそうな気がしてくる本です。

この本を”師”として、私も動き出してみようと思っています。


とうとう、夏休み最後の日曜日になりました。

今年は、6月の雨の影響で学校が休みになったためか、早めの2学期になるところが多いようです。
なんだか、子供たちも型にはまった規則に翻弄されているようで、少々かわいそうに思えてきました。

今日は知識を有ることをお話ししてみます。

知識を辞書で引いてみると
1.知ること。
2.考える働き
3.智識とかく仏語
4.確実な根拠に基づく認識

本を読んだり、学校で学んだり、セミナーに通ったりするなかで”なるほど”と納得することがあります。
でも、これは知識の中の”識”の部分ではないかと感じています。

昨晩、大学で心理学を学んだ方が、
「これ(知識)が、有るばかりに以前は人を一定の枠の中に入れてしまうことがあったのよ」
と、おっしゃっていました。

こういうタイプの人はこんな人、あんなタイプの人はあんな人・・・
確かに、ほんの少し本を読んだだけでもそんな気持ちになることがあります。

人は様々な心を持っています。
同じ行動で有っても、それぞれの人がする心の意味は違うのでしょう。
簡単に枠に入れられた感じてしまったとき、”そんな思いじゃない!”と心の中で叫んでいるのかもしれません。

そんな、心の叫びを受け止められる、知識の中の”知る”という部分を大切にしなければならないのではないかと感じたのです。

”知る”にはどうしたら良いかを、しっかりと考えてみたいと思っています。



今日でブログを書き始めて111日目になります。
それが?という感じなのですが、数字が並ぶと何故か”ラッキー!”と思ってしまいます。

きっと、今までの人生の中で数字が並ぶことがラッキーと繋がって楽しいことで有ったのだと思います。(あれ?パチンコかな?)
人間の感情っておもしろいものですね。

今日は、”仕事はどうでしたか?”という話をします。

先日テレビのニュースで、職業体験ができる施設で、夏休みの子供たちが様々な仕事の体験をしている姿を紹介していました。

指さし確認をしながら得意顔で電車を運転する子供たち
冷たいシェイカーに身震いしながら、バーテンダーとしてカクテルジュースを作る子供たち
その姿は真剣で、笑顔に満ちています。

そして、そのニュースの最後にレポーターが言うのです。
「仕事はどうでしたか?」

すると、子供は答えます。
「楽しくて、うれしかった。」と・・・

これが、仕事をする原点なのかもしれません。
自分が楽しく、それで喜んでくれる人がいたからうれしかった。

子供のころ、仕事にあこがれるとき、そこで働いている人の姿はキラキラと喜びに満ちていました。
そして、そこで働く”夢の自分”も、キラキラと輝いていたのです。

実生活の中で、どれほどの人が仕事を楽しんでうれしいと思っているでしょうか。

楽しいと思うことは、自分の気持ちを切り替えることができれば、比較的に簡単なのかもしれないと思っています。
でも、うれしいと感じることは難しい・・・
それは、ほめてくれる人、感謝してくれる人が必要だからです。

周りの人の、些細な行動も察知して感謝できる自分で有りたいと心から感じているのです。





お盆休みも終わりです。

親戚も帰り、あわただしい非日常から日常へと修正します。
こんなとき、お盆を振り返り、弟姉妹の暖かさを思います。
いつも、私を見守ってくれてありがとう。感謝しています。

今日は、癒される事をお話します。

人は、どんな時に癒されたと感じるのでしょう。
姉は、専業主婦で自分の存在価値を見失って、毎日が退屈の連続であったとき、”韓国ドラマ”に癒されたといっていました。

そこには、どんな癒しがあるのでしょう・・・

きっと、”韓国ドラマ”の複雑な人間関係と、人生に翻弄される不遇な主人公の姿に、ある時は自分が主人公になり、ある時は自分が主人公の親になり、また、ある時は主人公をいじめる役になりと、あらゆるシーンで「なるほどと感じる臨場感」が有るのだと思います。

癒されるときは、
自分の感情にぴったりとした言葉をかけてもらったとき。
自分の”箱”から抜け出せない小さな自分の感情を、そんな事もあると暖かく認めてもらえたとき。
少し、厳しい言葉で自分を戒めてくれたとき

自分の感情のパズルにピタッとピースがはまった時に、「自分を理解してもらえた。」と感じるのでしょう。

だから、”韓国ドラマ”は人に勧めたくなる。
自分と同じ感情を共有したいからです。

でも、実生活では、この癒しを得ることはなかなか難しいですね。

そんなとき、少しユーモアのある言葉で癒してもらえると、嬉しくなってしまいませんか?
思わず泣きながら、ニヤ!っと、笑ってしまうような・・・

そしてそんな、癒しのできる人にあこがれてしまうのです。

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