コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

<意味ある選択をするには何が必要か>
人口比における富の再分配についての円グラフをがあります。
教授は、自由のためのフェアーな富の再分配とは何かを問いかけるのです。

①のグラフは5者に20%づつ(実在しない)
②のグラフは段階的で最高37%~11%まで(スエーデン)
③のグラフは差が大きく最高は84%~0.1%(アメリカ)
どのグラフが平等と言えるのでしょうか?

スエーデンは平等を意識しており、アメリカは個人を意識している。
あなたの収入額はあなたの親によって決まるところが大きい。

この円グラフはそれぞれ、国民が国家からどういう自由を与えられたいか?
それぞれの国民が考える「意味のある自由の違い」を示していると言っています。

富のフェアーな再分配の考え方の違いをスエーデン人とアメリカ人は持っている。
フェアーな自由の認知のしかたが違うことになります。

フェアーな自由とは、 from freedom ~からの自由(何ものにも妨害されない自由)
自分のしたいことは何でもしていいし、私は自分にふさわしいものはすべて手に入れるべきだ。

一方で、freedom to ~への自由(自分の可能性への実現への自由を与えられること)
例え自分が自分の夢を実現するために必要なものを持っていなくても、それを与えられる自由
思いきりプレーできるフィールドを整備してもらえる自由・・・
フィールドを整備するとは、それを持っている人からもっていない人に与えることになり、富の分配で考えると課税ということになります。

考え方の違いは国家の間だけではなく個人の間にも違いを生みます。
政治家や経済学者が言うような事でなく井戸端会議のレベルで「何もしないホームレスに手を差し伸べるべきなのか?」と、いう議論を交わすことがあります。

どうしても手を差し伸べなければならないとするならばどういう方法があるのでしょうか?
フェアーな自由に対する生理的、情緒的な考え方には、これまでの話から多様な意見があるとことになります。

意味のある自由への幅のある多様な意見をどのように調整して行けばいいのでしょう。
どちらが正しくて、どちらが間違っているかを、どうやったら説明できるのでしょう。

この説明をするときに使われるのが、様々な経済指標です。
GDPやジニ係数・・・
でも、もっとも大切なことは「どちらかがどちらかを叩きつぶす。」というものであってはならないと、教授は強く主張するのです。
どうやったら個人が最高に花を咲かせることができるのか?
どうやったら集団が最高の可能性を実現できるのか?

あらゆることについて、意味ある選択を私たちはしていかなければならないのです。