コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

「これから異なる文化異なる精神について話をします。皆さんと世界へ出かけてみましょう。」

異なる文化の違いについて考えてみましょう。
インドネシアでは、人に足の裏を見せることは許されません。
ハイチでは知らない人が傍に近づいてきたら、例え母親でも子供にキスはしません。
邪悪なものが子供を見つけてしまうからです。

学生たちが続きます。
「西洋では挨拶のとき握手をしますが、東洋ではお辞儀をします。」
「集団的な観点から言えば、人を行動に駆り立てることが×とする国と報酬であるとする国があると思います。」
「集団と言うことで言うと、ある種の文化圏では上司のような目上の人たちに対して意見を言うことはよくないとされています。」

15年前、アイエンガー教授が日本の京都を訪れたときの話をしました。
甘いお茶が好きな教授はあるお店で緑茶を注文し砂糖を要求します。
でも、ウエイターは「緑茶には砂糖は入れません。」と強く答え、とうとう店長に相談するところまで行きました。
そして店長も「当店には緑茶に入れる砂糖はございません。」と答えるのです。
そこで、教授はコーヒーを注文することにしました。
でも、そのソーサーの上には砂糖がのっていたのです。

これは、選択がどういうものなのかと言う考え方の違いの例だと教授は説明します。
教授はお金を払って自分の好きなものを注文した客として、自分の好きな方法で飲む「権利がある」と考える。
だから、自分の要求が通って当然だと思う。
でも、日本人の見方からすればものを良く知らない人が誤った選択をしないよう守ってあげる「責任がある」と考える。
ものを知らない人が、恥をかかないように礼儀正しい方法でベストを尽くしてくれたのです。

選択という概念で考えるとアメリカ人は特に選択のし方において、自分たちこそが正しいと考えているのではないでしょうか?
アメリカ人のレンズを通してみた選択とは「誰もが生まれながらに持っている普遍的な欲望を最もよく満たすこと」を意味します。
アメリカ人は選択に対する自分たちの考え方は基本的なものだと信じているのです。
他の国ではその考え方が真実とは限らないということに思い至りません。

これからは選択の考え方の4つの基礎的な問いかけについて話し合います。
1.誰が選択をするのか
2.誰がそれを支配しているのか
3.選択はどんな違った理解のしかたがあるのだろうか
4.意味のある選択をするのは何が必要か