コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業1回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、偶然?選択?」でした。
この授業の中で選択できるということが本当に人の生死まで左右するのでしょうかと問いかけます。

アーロン・ラルストン(登山家)
2011年映画化された、アーロン・ラルストンの選択も究極でした。

2003年の4月の良く晴れた日、その日は土曜日で27歳の彼は山歩きに出かけました。
誰も彼の居所を知らず、彼がいなくなったことにも気が付きませんでした。
山登りの最中、彼は360kgの岩に手を挟まれます。
そして、その岩ごと谷に落ち、岩に手を挟まれたまま峡谷にはまってしまたのです。

岩に挟まれた手をどうすることもできず、彼は5日間助けを求めて叫び続けました。
もちろんその声は誰の耳にも届きませんでした。
彼は、遺言や遺品の分配について考え始めます。
5日目には水が底をつき、彼は自分の名前と生年月日死亡するであろう日付を岩に刻み始めました。
彼は「死」に備えていたのです。

そして考えました。
「このままこんなふうに自分が死ぬのを待つのは嫌だ。自殺した方がましだ。」

ここからどうやって自殺するかを考え始めます。
でも、自殺の覚悟をしたとき、彼の内なる声はこう叫んだのです。
「本当に自分を殺すのか?他に選択は無いのか?」

そして、その選択を声に出して言いました。
「そうだ!腕を切ればいいんだ。腕を切ればいいんだ。」

自分の腕を切断するのは簡単なことではありません。
彼が使えるの手は1本だけ、その手でもう片方の手の骨を折らなければなりません。
彼のポケットに入っていたのはたった5cmの切れ味の悪いナイフ・・・
たったそれだけで、腕を切断しなければならないのです。

皮膚や筋肉を切るために、腕の骨にひびを入れることに90分かかりました。
それからゆっくりと腕をナイフで切っていったのです。
腕を切ることができても、片腕で18mの高さの峡谷を降りなければなりません。
出血していて、空腹なうえに腕は1本しかないのです。
峡谷を降りて、10km歩いたところで彼は人に助けられます。

「このような物語を分かち合うのは、私たちの務めだと思う。」
とアイエンガー教授は言います。
誰の物語であっても、その選択の物語を伝えていく義務があります。

人生はあなたの持ち物を奪うこともあります。
家を奪うこともあれば、大切な人を連れ去ってしまうこともある。
でも、人生があなたから決して奪えないものがあります。
それは「選択の物語」です。

私たちの誰もが、逆境を経験し、今この瞬間にも難しい選択を迫られている人はたくさんいます。
私たちは可能な事と、不可能なことを見極めながら生きています。
限界にぶつかったときはそれを超えられるのか?受け入れなければならないのか?
を判断しなければなりません。
そのような難しい選択を迫れられたときは、登山家のラルストンの事を思い出してください。
彼の127時間を思い出しながら、まだ自分に何ができるのかを考えてみてください。
きっと、力が湧いてくるはずです。

選択が特効薬だと言っている訳ではありません。
選択がすべての問題を解決してくれるわけでもありません。
しかし、結局のところ
「選択は、今日の自分を 明日なりたい自分へと変える 唯一の手段 それこそが選択の力」
なのです。
と、1回目の授業は終わります。

この授業では、選択で自分の人生を大きく変えた人たちのことを語っています。
どの人の選択も深く素晴らしく、普通の人たちにできる選択ではないのかもしれません。
でも、小さな選択の中にもこれらの選択と同じほどの意味を持たせることは可能だと感じています。
その意味こそが、自分をコントロールし自分の選択に価値を見出し、自分を信じることができると思うからなのです。