昨日、和田裕美さんの”わくわく伝染ツアー 2009追加公演(広島)”に行ってきました。

印象に残ったのは、藤原清孝さんとの対談の中での「日本人には自己規律がある」という言葉でした。

藤原清孝さんは、1957年2月神戸市生まれ
灘高から東大と進み、最初の就職は当時名も知られていなかったマッキンゼー・・・

何故、マッキンゼーだったかと言うとその根底には”自分のスキルを生かす会社”ではなく”自分を伸ばせる会社”と言う考え方があったようです。

就職を選択する際、日本企業の社員よりもマッキンゼーの社員方が人間的に興味を惹かれる方々が多かったとのことでした。

藤原清孝さんが和田裕美さんとの対談の中で言われた「自己規律」とは、自分自身の思考・感情をコントロールすることで、意思決定や行動を理想の姿に近づけることだと思いました。

その瞬間、”なるほど、この言葉・・・・”と私の心にスイッチが入ったのです。

よく、日本社会が海外の方々に興味深く評価されるのは、この「自己規律」だと感じたのです。

幕末から明治にかけて活躍された、新渡戸稲造さんが「武士道」という著書を出されました。
この本は、多くの言語に訳されベストセラーとなり諸外国の人が称する”サムライ”と言う言葉の起源となっています。

新渡戸稲造さんがこの本を出すきっかけとなったのは、1889年ベルキーの法学者・ラブレー氏から
「あなたがたの学校には宗教教育というものはないのですか?」という質問に
「ないです。」と答えたところ
「宗教なしでどのように子孫に道徳教育を授けるのですか?」とさらに質問された事に端を発します。
新渡戸稲造さんは武士の自己規律の中に宗教と同等の道徳を見つけたのだと思います。

日本人には元来、この自己規律の能力が基本的に備わっているのではないでしょうか。
この日本人の心にある”神様”は漠然と大きい存在で明確はなく、この明確でないところが日本人的だとも思うのです。

自分の理想とするする姿をまずしっかりと描いてみることが、迷うことない日々を送れる基本なのかもしれません。