夢塾 ~私の夢探し~

人生を豊かに変える毎日の気付きを書き込みます。

2012年01月

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業3回目の放送は「最良の選択」です。
より良い選択をするための実践的なノウハウを伝授します。
私たちの選択のより大きな根拠となるのは「過去の記憶」です。
その記憶がいかに曖昧なものであるかを、教授が鮮やかに紐解きます。
過去の間違った選択をしていても、ついまた同じように選択をしていませんか?と、教授は問いかけます。
その間違いをしないために選択の記録「選択日記」をつけようと、教授は勧めるのです。

2.エイブラハム・リンカーンの場合(第16代アメリカ大統領)
誰もが知っているアメリカの歴史上の人物、彼は丸太小屋で育ちました。
世間では田舎ものと言えわれ、講演の腕は4流、文法がとても苦手だったようです。
無名時代に1期だけ下院議員を務めました。
無名の下院議員だった彼の成功を誰が予測したでしょうか。
彼は後にアメリカを代表する偉大な大統領となり、奴隷制を廃止し、北部の州を守りました。

リンカーンの物語を聞いて、彼は単に運が良かっただけだという人もいます。
当時アメリカは大変動の真っただ中にありました。
彼は3人の候補者と争いましたが、3人は彼よりずっと裕福で教育の水準も高く、社会的・政治的資本もはるかに多く持っていました。
ですから、彼の運が良かったことは確かです。
でも、彼の人生を振り返ると、彼が誰にもまして戦略的だったことが分かるのです。

彼はひとつひとつの決断を慎重に行っていました。
彼の強みななんだったのか・・・
それは、「人の意欲を引き出すすべ」を心得ていたことです。
彼は自分と協力関係にある人がどうすれば意欲を起こすかを常に考えていました。
彼には人の気持ちを理解する真の能力があったのです。

また、彼は相反する人の意見をまとめることにも長けていました。
彼は政治的に真向に対立する人たちで内閣を作りましたが、全員で協力させ一つの目標に向かわせることができました。
それが「冷淡で、計算高い男」と言われるようになった理由です。

リンカーンの例からは、良い選択をすることは戦略だとわかります。

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業3回目の放送は「最良の選択」です。
より良い選択をするための実践的なノウハウを伝授します。
私たちの選択のより大きな根拠となるのは「過去の記憶」です。
その記憶がいかに曖昧なものであるかを、教授が鮮やかに紐解きます。
過去の間違った選択をしていても、ついまた同じように選択をしていませんか?と、教授は問いかけます。
その間違いをしないために選択の記録「選択日記」をつけようと、教授は勧めるのです。

<選択に必要なのは直観か理性か>
良い選択はどのようになされるのか。
良い選択をするときどのようなプロセスがなされるのか。
直感や自分の心に従うべきだという人もいれば、理性的な分析を利用すべきだという人もいます。

1.ガルリ・カスパロフ(元チェス世界チャンピオン)の場合
彼は22歳で初めて世界チャンピオンになって以来、15年もの間勝ち続け王者のタイトルを守り続けました。
2番目のプレーヤーが彼の三分の一しか勝っていないことからも、彼がどれだけすごいかが分かります。
もっとすごいことは、彼が生身の対戦相手だけでなくスーパーコンピューター(ディープブルー)にも勝ったことがあることです。
膨大な処理能力、膨大な過去の記録を持つスーパーコンピューターに勝つことができた彼は、何をもとに選択をしてきたのでしょうか。

彼は自分の著書の中で、何が良い選択を生むのかを語っています。
「自分の強さは生まれ持った能力ではない」
「非凡な記憶力や先を読む力とも関係ない」
「私たちは日々数えきれないほどの選択をしる。チェスのチャンピオンであろうとなかろうと・・・」
「どうやったらより良い選択をできるかを考えなければならない。」
「それは、選択がうまくできただろうか?それは何故か?と振り返り心を鍛えることだ。」
「心を鍛えれば素晴らしい決断ができるようになる。」


コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

<意味ある選択をするには何が必要か>
人口比における富の再分配についての円グラフをがあります。
教授は、自由のためのフェアーな富の再分配とは何かを問いかけるのです。

①のグラフは5者に20%づつ(実在しない)
②のグラフは段階的で最高37%~11%まで(スエーデン)
③のグラフは差が大きく最高は84%~0.1%(アメリカ)
どのグラフが平等と言えるのでしょうか?

スエーデンは平等を意識しており、アメリカは個人を意識している。
あなたの収入額はあなたの親によって決まるところが大きい。

この円グラフはそれぞれ、国民が国家からどういう自由を与えられたいか?
それぞれの国民が考える「意味のある自由の違い」を示していると言っています。

富のフェアーな再分配の考え方の違いをスエーデン人とアメリカ人は持っている。
フェアーな自由の認知のしかたが違うことになります。

フェアーな自由とは、 from freedom ~からの自由(何ものにも妨害されない自由)
自分のしたいことは何でもしていいし、私は自分にふさわしいものはすべて手に入れるべきだ。

一方で、freedom to ~への自由(自分の可能性への実現への自由を与えられること)
例え自分が自分の夢を実現するために必要なものを持っていなくても、それを与えられる自由
思いきりプレーできるフィールドを整備してもらえる自由・・・
フィールドを整備するとは、それを持っている人からもっていない人に与えることになり、富の分配で考えると課税ということになります。

考え方の違いは国家の間だけではなく個人の間にも違いを生みます。
政治家や経済学者が言うような事でなく井戸端会議のレベルで「何もしないホームレスに手を差し伸べるべきなのか?」と、いう議論を交わすことがあります。

どうしても手を差し伸べなければならないとするならばどういう方法があるのでしょうか?
フェアーな自由に対する生理的、情緒的な考え方には、これまでの話から多様な意見があるとことになります。

意味のある自由への幅のある多様な意見をどのように調整して行けばいいのでしょう。
どちらが正しくて、どちらが間違っているかを、どうやったら説明できるのでしょう。

この説明をするときに使われるのが、様々な経済指標です。
GDPやジニ係数・・・
でも、もっとも大切なことは「どちらかがどちらかを叩きつぶす。」というものであってはならないと、教授は強く主張するのです。
どうやったら個人が最高に花を咲かせることができるのか?
どうやったら集団が最高の可能性を実現できるのか?

あらゆることについて、意味ある選択を私たちはしていかなければならないのです。

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

<誰が選択をするのか>
<誰がそれを支配しているのか>
<選択はどんな違った理解のしかたがあるのか>
<意味のある選択をするには何が必要か>
このような選択に対して世界共通の考え方を勧めていくことはできるのでしょうか?

アメリカ人はこれまでも、世界がどういう選択をするべきかを伝えるメッセンジャーだと考えていました。
そしてその選択の考え方は世界中から歓迎されると思っていたようです。
でも実際は、国や文化や人が衝突してしまいました。

世界中で起きている様々なできごとも、自分の文化や生活の中で起きていると思い、自分の尺度で考えてしまいます。
でもその当事者が、本当に自分たちと同じことを考えているのでしょうか。
自分の考える自由は、その当時者にとっても自分たちと同じ意味を持つものなのでしょうか。

自分のストーリーを理解させようとするよりも、お互いのストーリーを理解しようと努めた方が、失うものより理解できるものがはるかに多いのです。
互いのストーリーを理解し、学び、次の自分の選択肢を広げていく・・・
そうする方が、より素晴らしい価値を見出していけるのです。

文化的に異なることを理解することによって、価値を見出していく・・・
それに成功している企業がHSBC銀行です。
すべての国と地域の戦略を、ローカルレベルで行う企業です。
そのように多様な戦略でありながら、企業としてのアイデンティティの維持に成功しています。

HSBCでは従業員全員に対し、他の文化への理解を広げる教育をしています。
そしてHSBCに入社するものは複数の地域で働くこと、そして一つの地域に少なくとも3年間はいることを約束させられるのです。
その国に住み、その国の言葉を身に付け、その国の社会倫理を学び、その国の人々がどんな考え方を持っているかを学ぶことになります。
HSBCで認められるためには、様々なことを学び、少なくとも3地域での勤務経験が必要となのです。

国や地域を変わるたびに違いだけでなく同じところも見えてきます。
そんな経験の中から、新しい商品が生まれ、新しい商品を組み合わせ、その国や地域のニーズに答えることができるようになるのです。

エッセイスト ジョーン・ディディオンは言っています。
私たちは自分に物語をつむぎ、自分が見たものを解釈し、複数の選択肢から最も機能しそうなものを選ぶ

最後に教授は、このような多様な文化を理解するためには多言語仕様にならなければならないと伝えます。
そして多言語仕様とは言葉だけではないと、目が見えないご自身を例に付け加えるのです。

私は世界を目で見ることはできません。
でも、世界を知ることは私にとってとても重要でした。
見る。知る。観察する。
私はそれがどういうことなのかを、人の描写で理解しようとしました。
そしてその経験から、本当は見てもいないことを説明したり話したりすることができるようになったのです。
私には選択肢がない。と皆さんは言うかもしれません。
でも、私は視覚的な言語を学ぶことで私の人生は豊かになったと思っています。
見える人の世界と、見合えない人の世界の両方の可能性の理解することができたからです。

皆さんも、思い切って一歩を踏み出し馴染みのない言語の習得にも努力してほしいと教授は伝えます。
それがあなたの人生を豊かさに導いていくと・・・

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

<選択はどんな違った理解のしかたがあるのだろうか>
(選択肢はいくつある)
7つの炭酸飲料の写真を見せます。
これを見たときのあらゆる人のコメントです。
「どれが飲みたい」
「どれもいりません。だってどれもソーダですから。」(選択肢は一つだけ)
「どれも全部飲んだことがあります。これにします。」(選択肢は7つある)

次にベルリンの壁の話をします。
1989年11月9日ベルリンの壁は崩壊しました。
大勢に人がその状況を喜んでいました。
旧東ドイツには、スパーも少なくレストランのメニューも9割が出てきません。
そして、今もその状況は変わっていないのです。

不自由な状況の中でも、旧東ドイツのの人は東に住みたがります。
旧東ドイツの人の民主主義への満足度10%以下ととても低くく、変化への選択肢の多さに満足していないようなのです。
ベルリンの壁はなくなっても目に見えない心の壁は崩壊していないといえます。

ある時、アメリカ人の学生と日本人の学生に、朝起きてから1日の間にどれだけ選択をしたかを尋ねます、
アメリカ人の学生の選択肢は、朝起きる、歯を磨くなど多岐にわたります。
でも、日本人の学生には朝起きるや歯を磨くなどは、選択肢の中にないのです。

100か国以上で事業を展開している「City Bank」の世界中の従業員へのインタビュの結果では、
1日の選択肢が多いと感じているのは、アメリカ人、ラテンアメリカ人、アジア人の順番でした。
これらの違いはパホーマンスとモチベーションの違いにも影響を生んだのです。

アングロ系アメリカ人・・・選択肢が多いと感じる方がパホーマンスも貢献度も高く病欠の回数も少ない
ヒスパニック系アメリカ人とラテン系アメリカ人・・・選択肢の多さより、上司が自分を高く評価してくれているかと上司が信頼できる上司かどうかが、パホーマンスと貢献度に影響をあたえました。
アジア人とアジア系アメリカ人・・・選択肢が多ければ多いほどパホーマンスが落ちました。選択肢が多くなればなるほど上司は理解しているのだろうかと疑いを持ち始める。自分が選択して進めるよりも、仕事の方向性と焦点が定まっていることが、パホーマンスと組織への貢献度に影響をあたえたのです。

選択肢とは多ければ多いほど良いとは限らないということが分かります。
人は自分の感覚で他者に選択肢を与えがちですが、自分ではなく他者がどのような選択肢を求めているかが重要だと感じたのです。


コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

<選択は誰が支配しているのか>
この課題で、大小の魚と藻がある水槽の画像を見せます。
そして何を見たかを問いかけます。
アメリカ人・・・大きな魚を見る傾向が高い
日本人・・・周りの状況を見る(かえる・海藻・巻貝など)傾向が高い
同じ状況の中でも両者は違うものを見ているのです。

なぜこのような違いが起こるのでしょう。
人は育つ環境の中で小さいころから社会からや親から、誰がその状況の中での支配者であるかを教えられるのだと言っています。
それは誰が支配者であるかを知ることで、その状況をどうすれば良いか。どうすれば成功するかを幹わけられるからです。
アメリカでは支配力を持つのは、個人なだと教えられますが、他の国では、支配力を持つのは環境だと教えられるところもあるようです。

オリンピックでの成功者のコメントにそれを探ることができます。
アジア人・・・コーチのメダルです。チームのメダルです。支えてくれた人のメダルです。
アメリカ人・・・今日起きたときからメダルが取れると思っていました。

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

1.誰が選択をするのか
「結婚相手を誰かに決められたいですか」
そんな問いかけに、生徒たちは信じらない・・という顔をします。

シーク教徒の多いインドでは現在もなお、75%の人が何らかの形でお見合い結婚をしています。
恋愛結婚も選択の一つだと知っていてもです。
アイエンガー教授のご両親も、結婚式の前日までお互いに会ったこともなかったそうです。

そんなインドでのこの2種類の結婚の判断をする「離婚率」と「幸福の度合」の統計があります。
インドでの離婚率は、お見合い結婚は5~7%、恋愛結婚は50%です。
離婚率はその環境に左右されますから、離婚が許されない文化では、不幸な結婚を続けなければならないことがあります。

結婚式をした日の幸福の度合は、お見合い結婚では恋愛結婚をした人ほど幸せではありません。
恋愛結婚をした人の幸福度は結婚したときに頂点を迎え、時間の経過とともに幸福度は下がります。
反対にお見合い結婚した人は、結婚式以降の幸福度は上がっているのです。

恋愛結婚とお見合い結婚を比較することは、意味がないことなのかもしれません。
どの国の夫婦も結婚し、子供を産み、子供を育てるこの過程は変わりません。
でも、関わる人間関係には大きな差があるようなのです。

お見合い結婚は、ルームパートナーやビジネスパートナーと似ています。
同じ目的や価値観を持つ二人の人間が一緒になり、努力してお互いをよく知り機能するパートナーシップを作り上げていく。
恋愛結婚は、愛情と言う情緒的な感情の上に成り立っています。
時間が経過してもその愛情関係を維持し高め、目的や価値観が違ってもそれを乗り越えていく絆を作り上げていく。


誰が選択するのかと言う問いに対する答えは、「常に自分だとは限らない」と言うことのようです。
選ぶのの私であっても、その選択が周囲に影響を与えることを考慮するならば、選択したのは「私」ではなく「私たち」なのだと教授は言っているのです。

確かにフリーな状態ですべての選択が行えているとは言い難いようです。
当然と思う選択の基本に、大きな規制があるかもしれいことを常に心に留めたいと思ったのです。



コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

1.誰が選択をするのか
7歳から9歳の子供たちに、ある調査をしました。
日系アメリカ人、中国系アメリカ人、アングロ系アメリカ人が交じり合うようにして、三つのグループに分けます。
最初のグループは自分で選択するように求められます。
「六つの課題の内、どれをやりますか。何色のペンでその答えを書きますか。」

第二のグループは、それまで子供たちが会ったこともない先生から、
「この課題をやって、このペンで書いてください。」と指示されます。

第三のグループは、部屋に入ると先生から、
「みんなのお母さんは、この課題をやって、このペンで答えを書いてって言ってたわよ。」と伝えるのです。

どのグループが最もモチベーション高くこの課題に取り組んみ、成績が良かったのは誰でしょう。
アングロ系アメリカ人は、自分で選んだ時が最も成績が良かった。
それが先生だろうが母親だろうが関係なく、誰かからこうしなさいと言われ選択できないとわかるとモチベーションも成績も下がるのです。
メアリーは、自分がこうしなさいと言われたとき、がっかりし顔でこう言いました。
「なんで、ママに聞いたの?」

アジア系アメリカ人の子供たちは全く違う反応を示しました。
成績が最もよかったのは、母親からの指示があったと伝えられたとき。
次によかったのは、自分で選択したとき。
そして最も悪かったのは、アングロ系アメリカ人の子供たちと同様、それまであったこともない先生から指示されたときでした。
ナツミという女の子は、先生のところに来て先生のスカートの裾をつかんでこう言いました。
「ママに、ママに言われた通りにやったよ・・・って、伝えてくれる?」

アングロ系アメリカ人の場合、生まれたときから「自分は、自分自身だ。」と叩き込まれます。
でも、他の多くの文化では、人間関係を教えられます。
目上の人は何を望んでいるか。子供が何を望んでいるか。周りは何を考えているか。

これほどまでに、文化の違いは選択に大きな影響を与えているのです。



コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

「これから異なる文化異なる精神について話をします。皆さんと世界へ出かけてみましょう。」

異なる文化の違いについて考えてみましょう。
インドネシアでは、人に足の裏を見せることは許されません。
ハイチでは知らない人が傍に近づいてきたら、例え母親でも子供にキスはしません。
邪悪なものが子供を見つけてしまうからです。

学生たちが続きます。
「西洋では挨拶のとき握手をしますが、東洋ではお辞儀をします。」
「集団的な観点から言えば、人を行動に駆り立てることが×とする国と報酬であるとする国があると思います。」
「集団と言うことで言うと、ある種の文化圏では上司のような目上の人たちに対して意見を言うことはよくないとされています。」

15年前、アイエンガー教授が日本の京都を訪れたときの話をしました。
甘いお茶が好きな教授はあるお店で緑茶を注文し砂糖を要求します。
でも、ウエイターは「緑茶には砂糖は入れません。」と強く答え、とうとう店長に相談するところまで行きました。
そして店長も「当店には緑茶に入れる砂糖はございません。」と答えるのです。
そこで、教授はコーヒーを注文することにしました。
でも、そのソーサーの上には砂糖がのっていたのです。

これは、選択がどういうものなのかと言う考え方の違いの例だと教授は説明します。
教授はお金を払って自分の好きなものを注文した客として、自分の好きな方法で飲む「権利がある」と考える。
だから、自分の要求が通って当然だと思う。
でも、日本人の見方からすればものを良く知らない人が誤った選択をしないよう守ってあげる「責任がある」と考える。
ものを知らない人が、恥をかかないように礼儀正しい方法でベストを尽くしてくれたのです。

選択という概念で考えるとアメリカ人は特に選択のし方において、自分たちこそが正しいと考えているのではないでしょうか?
アメリカ人のレンズを通してみた選択とは「誰もが生まれながらに持っている普遍的な欲望を最もよく満たすこと」を意味します。
アメリカ人は選択に対する自分たちの考え方は基本的なものだと信じているのです。
他の国ではその考え方が真実とは限らないということに思い至りません。

これからは選択の考え方の4つの基礎的な問いかけについて話し合います。
1.誰が選択をするのか
2.誰がそれを支配しているのか
3.選択はどんな違った理解のしかたがあるのだろうか
4.意味のある選択をするのは何が必要か

コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の「選択」の授業2回目の放送は
「あなたの人生を決めるのは、根拠は何」でした。
「自分で選んだはずのものは本当にあなた自身が決めたことだろうか。
実はその選択は 周囲や文化が あなたにそうしむけたのではないか?」と、問いかけます。

「これから異なる文化異なる精神について話をします。皆さんと世界へ出かけてみましょう。」


日本の震災
2011年3月11日金曜日、日本で大きな地震が起きました。
震源は日本の近海の海底です。
この地震はマグニチュード9.0
日本の観測史最大規模の地震となりました。さらにこの直後、最大規模の津波が沿岸に押し寄せました。
津波は高さ40mにまで達しています。

この津波で、福島第一原発の冷却装置が作動しなくなり,複数の原子炉でメルトダウンが起きました。
放射能は周辺に漏れ出し現在でも何万人もの人々が、避難生活を余儀なくされています。

この事故は日本だけの事故ではなく、世界にとっての事故でもあります。
想像してみてください。
自分が福島第一原発の作業員で選択しなければならなかったら・・・
速やかに避難して、自分と家族を守るか?
それとも作業場にとどまるか?

学生たちは答えました。
「例え留まるとしても、自分がメルトダウンを防げる保証はないし、家族と会える保証もない。
ですから後は、他の人がどうするかにかかっています。大勢の仲間が危険を承知して留まるというのならそれは集団として頑張るということですから。
一人ではメルトダウンを防ぐことは不可能ですから・・・」
「私は幼いころから栄光ある死を遂げるということが夢でしたから、留まります。
もちろん留まることで事態を救えるかどうかはわかりません。でも、より大きな善の為に貢献できているだという充実感は得られます。国のみんなの為に自分を犠牲にしているのですから・・・」
「私なら留まります。例え逃げても死ぬかもしれません。それにそんな非常事態には理性が飛んでしまって、自分が留まれば世界を救える・・・みたいな気持ちになると思うんです。」

実際はどうだったか・・・
福島原発の50人の従業員、後に福島フィフティと言われる人たちは逃げずにとどまり,不眠不休で原発を制御すべく働きました。
彼らは自分たちは死ぬかもしれないと覚悟していたかもしれません。
今日無事だとしても、数か月後はどうなるかはわからない・・・
浴びた放射能の量はけた外れの量でした。
それでも逃げようとは思わなかったのです。

これは日本でだけ見られる状況なのでしょうか?
日本文化の得意な例なのでしょうか?
この福島フィフティに相当する人たちはアメリカや中国、インドやブラジルにもいるのでしょうか?
いるのか?いないのか?この問いに対する答えはわかりません。
でも、私たちが知っているのは彼らが留まると決断したときに、その決断は国を象徴するものとなり、個人としてどうするかではなく日本人としてどうするかを示すものとなりました。
そして、彼らが下した決断は日本文化の理想とピタリと調和するものなのです。

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