夢塾 ~日々の気付き〜

人生を豊かに変える気付きを書き込みます。

2011年10月

知り合いが亡くなってしまいました。
寂しさや心の苦しさに耐えられず、自ら命を絶ったのです。
打ち解けて話せるほどの関係ではなかったのですが、何かしてあげられることはなかったかと感じています。

人は、孤独に陥ったり悲しくなったりすることがあります。
そんなとき、社会の中で尊重されていないと思い込んでしまっているのです。

もし、喫茶店に入り自分だけ水が出てこないとしても、そこにいる人たちはそれほど大きな利害関係もないのですから「わざと水を出さない」という行為に及ぶことはないと感じています。
でも心が萎えていると「この店は嫌いだ」とか「私を無視した」と思ってしまうことがあります。

これは自分自身の心の中が思い込んでいるだけなのです。
目を大きく開くと、周りにはたくさんの優しい人たちがいます。
そして本当に優しい人たちは「ひとり」に優しくするのではなく「たくさんの人に・・・」とか「世界中の人に・・・」と活動しています。

夜、休む前には今日の反省をしたり今日の悲しいことを考えることは止めましょう。
楽しい夢を見るために、明日の希望を考えます。
2年後3年後の自分の姿を考えます。
10年後20年後の姿も考えます。

叶えられそうもないと感じてしまうほど、大きな夢でいいと思います。
世界中を飛び回り、ビジネスをしてみたい。
総理大臣になってこの国を良くしてみたい。
社長になってこの会社を良くしてみたい。

それが出来たらどんな人と出会うだろう。
どんなにワクワクとした笑顔に会えるだろう。

一人で考えることで、こんなにたくさん楽しめるのです。
二度と出会えないその人に次の輪廻があるならば、ワクワクと楽しめる心であってほしいと願っているのです。



「癇癪(かんしゃく)」の「く」の字をすててただ「感謝(かんしゃ)」
こんな言葉に出会いました。

「く」の字はきっと自分自身の心の中の苦しみなのだと感じています。
腹を立てたとき、きっと一番苦しんでいるのは腹を立てている自分なのです。

怒りの感情が沸き起こる時、頭の中も胸の内もいつもの平常心をなくしています。
そしてその怒りの感情のみにフォーカスしてしまっているのです。

その状態で何かを起こすと、「私のことを理解していない」とか「あの人には何も相談できない」と相手が心のシャッターを下ろしてしまうのです。

ムカっと来たとき、「まあいいか。そのうち言える時が来るだろう。」と思うことにしています。
一瞬の出会いの時には、相手がアレレ・・・と思うような笑顔を返す。
これは相手となる人が他者の怒りを私にぶつけていると感じるからです。
その波にのまれてはいけないと感じています。

常にそばにいる人ならば、いつかは言えるタイミングがあります。
それまでその怒りの感情の根拠を探すのです。
そして明らかな根拠があると思えるとき、きっと不思議なほど緩やかにそのことを話せる瞬間が訪れます。

そうするとその先には相手を思う感謝の気持ちが広がっていくのだと感じています。
癇癪の苦の字をすてて、ただ感謝

今日もこの気持ちで過ごしたいと思っています。


夢が叶っていく人たちに出会っています。
それは決してあっという間に叶ったわけではありません。

たくさんの時間を掛けて試行錯誤しながら、自分探しの旅を続けています。
自分が所属しているところへの違和感・・・家族・学校・会社・社会・・・

この違和感を大切にしなければならないようです。
不幸に感じるのではなく、そこから何を得ることが出来るのか?
そこに何の意味があるのか?

違和感の先には、生かされていることへの意味が隠れているように感じています。
先ずは違和感のなくなった先の自分の感情を想像してみるましょう。
どのように心が落ち着くのか?
どのように喜びがあふれるのか?
そしてそれは誰のためなのか?

自分の心が落ち着き喜びに満ち溢れる感情が「人の笑顔」であったり「人の感謝」で有るならば、強い意志をもってそこへ進むべきなのだと思います。

するとその夢は、たくさんの人たちに助けられながら叶い始めるのだと信じているのです。

ブレーンストーミングに興味があります。
brain storming(頭脳に嵐を起こす)です。

たくさんの人たちが、固定概念にとらわれず自由な発想で思い思いに語っていきます。
1.意見はたくさん集まれば集まるほどよい
2.突拍子もない意見を歓迎する
3.批判はしない
4.意見を共通する項目ごとに分けて融合していく

稲の育つ山あいに雑貨屋を開いた人がいます。
こんな田舎に開いても・・・と、思った私が間違っていたことに気が付きました。
彼女はその環境を味方につけ、地域と繋がりたくさんの仲間を作っていくのです。

人は「夢」を持つと、頭の中は常にその夢を潜在意識の中で考えることになります。
そして行動の中の一部は必ずその「夢」に向かって進むことになります。
行動していると少しずつ周りに変化が訪れます。
これが奇跡のような人、物、金、情報・・・に繋がっていきます。

そんな雑貨屋の彼女に会うと話がどんどんと広がっていきます。
この周りにね。たくさんのクリエイティブな人たちがいるのよ。
ここにはね。包丁を作る職人さん、ここにはバラの花を作る人、ここには有精卵の卵を生産している養鶏農家、そして・・・・そして・・・

卵と新米で「卵かけご飯の会」を開こうか。
よ~し、それならお醤油も地元産で、お漬物も、みそ汁も・・・

こんな素敵な仲間たちとの会話はとても楽しいものになります。
そして、実現不可能なことも実現できそうな予感がしてくるのです。

今日も、素敵な人と出会えることを願いつつワクワクと過ごしたいと思っています。

デスクでPCに向かって仕事をしていると、背中が曲がり斜め下向きになっていることが有ります。
背中を曲げていたり、斜め下を向いていると自己に集中できると思っています。

でも、その時は肺が縮まり大きな呼吸が出来ていません。
試してみてください。
そんな自分の殻に閉じこもる姿勢では、ルーチンワークはこなせますが、良い発想は浮かないのです。

この仕事をどう進めていこうか?
あの答えをどうしようか?

こんな時は、腕を上げて大きく背伸びをしてください。
出来れば上げた手は、耳より後ろに来るように・・・
そして上げた手を、腕を曲げながら真横に下します。(肩甲骨を縮めるように・・・)
肩甲骨を縮めるためには、下した手のひらを首の後ろに持ってきても良いかも。
その姿勢で、大きく深く3回呼吸しましょう。
そしてゆっくり手を下していくと基本の背中と肩の姿勢になります。(肩に力が入っていたら力を抜いてくださいね。)

この姿勢でほんの少し、目線を上にあげてみて、くよくよしたり、悲しんだり、苦しんでいることを思い出してみてください。
きっと、「まあいいか・・・」と思えると感じています。

人は目線を上にあげるだけで、未来や「夢」を考え始めるのです。



「志専らなあずんば業盛んなること能わず」
吉田松陰の言葉です。

志がはっきりとしていなければ、志は達成できないという意味になります。
志・・・というと幕末の志士たちを思い出し大きな目標を立てなければと思ってしまいます。

でも、小さな目標の積み重ねでも良いのだと思います。
嫌いな人に挨拶しよう!と考えたとします。
でも、どうしてもできない・・・・そんな時人は理由付けをしてしまいます。

挨拶しても無視されそうでいやだ。
挨拶したところでどうなるの?
とか・・・

でも、きっと変わるはずです。
やりたいと思っていることで、出来ないことを先ず初めて見る。
初めてうまくいかなくても、やらないための理由付けはしない。
そして、もっぱら続けてみる。

きっと、志は叶うと思ってしまうのです。





もし、すべての制約が取り払われて何かができるとするならば何をしたいでしょう?

家族の心配もない。
お金の心配もない。
人間関係のわずらわしさもない。

思うことがすべて叶うとするならば・・・
私は「本当に優しい」人たちに囲まれていたいと思います。

そして「本当に優しい人」に育つ環境を作りたいと思います。
「本当に優しい」という言葉は私の人生の目標なのです。

「ホントウに・・・」と言う言葉は、漠然と使う言葉ですが難しい言葉です。
際限なく高く宇宙にまで飛んでいくほど大きな目標となります。

生まれてきた子供たちが、「本当に優しい」人たちの中で
少しずつ自分の能力や資質を生かし、その人なりの「本当に優しい」に人に育ち
「本当に優しい」心で世界を支援する。

そこで勤める人たちが、「本当の優しさ」に気付き気概をもって社会のために貢献する。
そこで企業ている人たちは、「本当に優しい」心の中で助け合い繋がりあいながらスパイラルの様に成功する。

「本当に優しい」とは、厳しいことです。
自分自身の人間性を磨かなければなりません。
そして他者に寛容でなければなりません。
また、その優しさの中には目標(夢)がなければなりません。
目標(夢)がなければ厳しさも寛容も意味をなさないと思うからです。

すべての制約を取り払い、目標(夢)を描き、世界に飛び立つ人が育つ
そんな夢を実現したいと思っています。





9月はブログを更新できずにいました。

昨年の6月からたくさんの方々のお名刺をいただく機会にめぐまれています。
どの方も本当に素晴らしく、会社員としての自分が「井の中の蛙」であったことを思い知らされます。

そんな私が書くことなどできるのか?・・・なんて
文豪でもあるまいに、そんな哲学的なことを考えたりして・・・(爆笑)

そうしてお会いした方々の中でとりわけ驚いているのは、すぐ傍にたくさんのクリエイティブな皆さんがいらっしゃったということです。
そして、地域を愛し人を愛し、「何かをしたい」と強く思っていることです。

男職場である警備業の事業を引き継いだ女性社長、田舎に雑貨屋を開いた女性、記者として地域の話題を発信している女性、子育てをする女性をサポートしたいと夢を語る女性、異業種交流会を20年以上開催している男性・・・

そんな方々にお会いして話をする度に、人には「夢」が必要なのだと強く感じています。
そして「夢」に向かっているのに、それが「夢」だと気付いていないたくさんの人にも出会っているのです。

毎日のすべてが夢なのだと感じています。
家族が今日1日元気で過ごせること・・・これも「夢」です。
この仕事がうまくいくこと・・・これも「夢」です。
落ち込んでいるあの人を励ますこと・・・これも「夢」です。

「夢」の先に描くことはそれが実現したときの映像です。
家族と一緒に食べる夕食
仕事がうまくいった時の達成感
落ち込んでいた人の笑顔

こやって日々の些細なことも「夢」だと思って描いてみてください。
きっと自分が出来そうな「大きな夢」が描け始めると感じています。

夢を描くためにこのブログを書き進めたいと思っています。






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