夢塾 ~日々の気付き〜

人生を豊かに変える気付きを書き込みます。

2011年09月

母がメモ書きを置いていました。
「聴くことを速やかにし、語ることを遅くせよ。」

なるほど・・・と思うのに、実践できていないのです。
そんな時、心理学セミナーで聴くことの大切さを教わりました。

「聴」と言う字には、耳と目と心と十があります。
耳と目と心を十分に働かせなければならないようです。

人は頭で考えていることの0.17%~3%しか言葉にできていないようです。
その少ない言葉から、どれだけの思いをくみ取ることができるか?
そこが大切な鍵となります。

聴くための「姿勢」:ちょっと前傾、二人なら「ハ」の字に座る
適切な「アイコンタクト」:見続けてはダメ、流れとタイミング
受け入れる「表情」:心からの笑顔、相手と同じ行動
理解を示す「うなずき」:目を見てゆっくり
共感を示す「あいづち」:「なるほど」と先ずはすべてに共感する
先に進める「うながし」:頭の考えを言葉にできるように、「それからどうしたの?」と問いかける
相手の話題から逸れない「オウム返し」:自分の興味へと話を逸らさないために、同じ言葉を繰り返す
聴いた話の「要約」:話の途中で、そこまでの話を簡単にまとめて、理解していることを示す

出来ているようで、出来ていなかったと思うことがたくさんあります。
また、こんな形で人から話を聴いてもらえることが少ないことも事実です。

家族、同僚や友達などのささいな会話から、こんな聴き方を実践していきたいと思っています。

wikipediaで私の大好きな言葉、「セレンディピティ」を引いてみました。

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。
平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。

セレンディピティは、ラッキーな偶然と理解されることもありますが少し違っていると感じています。
ラッキーな偶然は、懸賞に当たったり宝くじに当たるようなものです。
セレンディピティはその根底に「求めている」という心の状態があります。

聖書に「求めよ。さらば与えられん」と言う言葉があります。
漠然と求めるにしても、目標をもって求めるにしても、常に求め続けて行動をしていなければならないようです。

そうすると、人から聞いた言葉も、人がしている行動も自分にとっては大きな気付きとなっていきます。
そしてその気付きの蓄積は、自分の人生を動かし始めます。

人はみんな全く違います。そして、その違いこそが素晴らしいと思います。
先ずは自分の得意とするものは何か?
突き動かされる感情は何か?
そんな、自分の内面の気付きから感じていけば、自分の人生をシフトさせる方向が見つかるのかもしれません。

見つかりそうになって進んでいけば、新しい気付きや出会いが生まれます。
その気付きと出会いの中から、間違ってる「思い込み」や突き進みべき方向が見えることがあります。
見えたと思ったら、その見えた方向に起動修正し新しい行動を進めてみます。

こんな繰り返しを大きなことと考えず、毎日、毎日の習慣にしたいと思っています。
少しずつ、少しずつ人生が自分の求める「何か」に向けて進み始めるのです。

その心の根底は「まっとうであること」本当にこの進むべき方向が「まっとうであるか」は、常に吟味したいと思っているのです。

このページのトップヘ