夢塾 ~日々の気付き〜

人生を豊かに変える気付きを書き込みます。

2011年03月

地震、津波、原子力発電のどんどんと広がって行く不具合・・・
これほどの不安があるのでしょうか?

被災地の皆さんはこの寒さの中、どうしてらっしゃるでしょうか?
TVからはやんわりとした東北弁が聞こえてきます。

どなたも、自分の事より他人の事を思い「助けてあげてほしい」と訴えます。
コンビニでも、スーパーでも後の人の為に買い占めない方々の姿が放送されています。

ご家族が悲しい結果になっている方々、ご家族の安否が未だに不明の方々、
国は昨日、人命救助から物資輸送に第一順位を切り替える発表をしました。
心が・・・心が・・・痛みますが、必至の選択なのでしょう。

私に何ができるだろうと考え続ける毎日です。
多くの方々がきっと同じ気持ちであろうと思っています。

原発は1号機、3号機、2号機、4号機と不具合が広がっています。
進むたびにその状況は悪さを増しています。

科学者の皆さん、原発を推し進めたのなら何とかしてください。
自然がこれほどの怒りを表した後に、人が人を害するような事はやめてください。

自然の怒りは常に人類がこの星で生きている限り受けとめなければならない現実だろうと思います。
しかし、人災は違います。人災は起こしてはならないのです。

今日も、祈りつつ過ごさなければならないと感じています。

想像も出来ない惨状がTVの画面から流されてきます。

いつ訪れるかと、カウントダウンが始まっていた現実がとうとう起きてしまいました。
その惨状は、地元広島の原爆ドームで見る原爆直後の広島市内の様子にも似ていました。

広島の惨状には人と人の、国と国の、どうしようもないわだかまりがありました。
今の惨状は自然が人の生活を支えようと何年も何十年も何百年も耐え続けて、どうしようもなく訪れたように感じています。

あのおじいちゃんから、あのおばあちゃんから、あのお父さんから、おのお母さんから。
あの青年から、あの少女から、幼気ない子供たちから・・・
その未来を奪い取った”ツナミ”から、何を学ばなければならないのでしょう。

いま、なすすべもない私たちは何をすれば良いのでしょう。
国としての指導力も、国民としての在り方も問われているのかもしれません。

国も頑張っているようです。
心温まる人の姿もTVで、Twitterで、Facebookで広がっています。
この思いを繋ぎ続けなければなりません。

被災者のみなさん、どうか希望を失わずにいてください。
私たちも、心が震えるこの気持ちを大きな力にできるように考えていかなければなりません。

その犠牲を無駄にしないためにも、心を繋いでいきたいと感じているのです。

甚大な被害を生ずる地震が発生しました。
TVを見るだけで、何も出来ないことに胸が苦しくなります。

朝日新聞の天声人語をご紹介します。

テレビ画面を正視することができなかった。がれきと海水の混じり合った津波が、濁流のように家を畑を、道路を呑み込んでいく。走っている車に波がのしかかる。ああ、誰が乗っているのだ。お父さん?お母さん?兄さん?姉さん?・・・だれかにつながる、かけがえのない命が呑まれていく。

マグニチュード8.8の猛烈な揺れ。被害はどれほど広がるのか。震源から遠い東京でも震度5強で揺れた。黒煙を上げるビルが職場の窓から間近に見える。この一文を書いている間にも、大地は不気味に揺れ続けている。

三陸地方は津内の常襲地とされる。過去の幾多の犠牲と引き換えにつくられた様々な手だても、自然の猛威に破られた。天変地異の脅威をあらためて思う。各地の爪痕の少しでも小さいことを、ただ祈る

日本列島はプレートのぶつかりあう上の乗る。その危うさを物理学者の寺田寅彦は「国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもの」とたとえた。「つり橋の鋼索が、明日にも断たれるかもしれない」と警鐘をならした。その鋼索が切れた。

気象庁によれば、東北沖から関東沖まで、数百キロにわたって断層が動いたようだ。点ではなく線である。予想される東海地震や東南海地震に匹敵する巨大地震が起きた。明治以来の観測史上最大という。

夜が明ければさらなる被害が確かめられよう。生命、財産、故郷の町並み。失われたものの大きさに打ちのめされる人たちとの絆を失うまい。こんなときにつなぐための手が、私たちの心にはある。


東北新幹線、九州新幹線と日本がどんどん狭く(身近に)なっていくように感じています。
ほんの数十年前までは、日本の端から端まで何日もかけなければ移動できませんでした。

300kmほど離れたところに嫁いだ姉との距離も年々縮まっています。
遠くに嫁いだ・・・と言う感覚も、もうちょっと近ければという感覚になっています。

以前は久しぶりに逢って別れる時などには姉も両親も涙・涙・・・
こんな情緒もなくなってしまうようなちょっと寂しい気持ちも感じてしまいます。

こうして書いているブログなどのWEBの世界は広く(身近に)なってきました。
あの時出会ったあの人はどうしているだろうと、繋がる手がかりの希薄な関係も、Facebookで見つけることが出来ています。

世の中の仕組み全体を変えなければならないときが来ているように感じています。
TVのニュースで流れる事にスピード感がなく、まったりとした感覚を感じているのは私だけでしょうか?

きっと、大丈夫?
時代の寵児が現れて、新しい何かが生まれてくるような予感がしています。
そしてその時代の寵児が、世界中に優しさや、愛や、希望をばらまいてくれることを密かに信じているのです。

そんな事を考えながら広がって、狭くなって、身近になっていく世界でもっと気付きを広げていきたいと思っているのです。

話をしていて「上から目線だ!」と言われてしまいました。
「えっ?」「何が?」と思ってのですが、そこはするりと流します。

毎日の気付きを誰かに伝えようとすると、いかにも自分はそれが出来ていて周りの人はそれが出来ていないと言っているように受けとめられることがあります。
これも、言葉の力ですね。

私の心の琴線に触れる毎日の出来事は誰かに伝えずにはおれないのですが、もっと心の中で吟味して本当に納得できることにだけにしなければならないのかもしれません。

琴線に触れる気付きは、私が日ごろ目指していることであったり、全く新しいものの見方であったりします。
日ごろ目指していることは、後押しをされたように嬉しくなりますし、全く新しいものの見方は私の心の視野の角度をほんの少し広げてくれます。

全く新しいものの見方は一朝一夕に自分のものには出来ませんが、心の引き出しにしまっておくと、あらゆる機会にそのものの見方の事例と遭遇できるようです。
そんな機会を何度も何度も繰り返し、心の中で煮詰める作業を繰り返しているとそれが腑に落ちる瞬間が生まれてきます。

そんな事を繰り返す今日でありたいと思っているのです。
しっかり言葉を吟味しながら・・・

「あれ?」と思う瞬間があります。
直感とか、第六感と言うのかもしれません。

こういう瞬間をおざなりにしないように心がけています。
何故ならば、その感覚が正しい確率が高いと感じているからです。

ただ、この感じる力は自分の取り組んでいる姿勢と経験値が影響していると思っています。
自分が、興味を抱いていないことではこの感覚は生まれないし、万が一「あれ?」と思っても思い違いであることがほとんどだからです。

よく人は「そうなると思っていた。」とか「やっぱり。」とか言うことがあります。
その背景には、そんな感覚を抱いた瞬間があるのだと感じています。

経験値は、その感覚をひらめかせるための情報収集なのでしょう。
記憶に留めておかなくても、見たり考えたりする回数の多さがその部分の感覚を高めているのだと思っています。

今日の経験も未来の直感力へ繋がっていると思うとワクワクとしてきました。
今日も「あれ?」を活かしていきたいと思っているのです。



数年前からヨガをやっています。
そして最近ピラティスにも興味が湧き、パーソナルレッスンを数回受けてみました。

ヨガとピラティスの違いは何なのでしょう。

<ヨガ>
・ストレッチ効果
・アウターマッスルの強化
・リラックス効果(副交感神経の刺激)

<ピラティス>
・ストレッチ後悔
・インナーマッスルの強化
・頭がすっきりする(交感神経の刺激)

ヨガではゆっくりと落ち着いて、深く大きな呼吸をします。
ピラティスでは、大きな呼吸なのですが身体の表面を膨らませることなく、身体の奥底のインナーマッスルを使った呼吸をしなければなりません。
でも、ここではヨガで習った「自分の身体に耳をすませる」という行動が役に立ちます。

ヨガもピラティスも自分の身体で有りながら何も理解できていない事を気付かせてくれています。
心も身体もどちらにも目と耳をすまし、自分を見つめることが大切なのかもしれません。


まだ、やってもいないことを出来ると感じる事を効力感と言います。
効力とは、効果を及ぼすことの出来る能力の事です。

思いついた時に出来ないなぁ~と思うこともあれば、何か漠然と出来るだろうと思えることがあります。
それはどんな違いなのでしょう。

効力感には4つの源泉があります。
1.制御体験・・・自分自身の過去の体験です。
2.代理体験・・・他の人の体験を自分の体験のように感じる事です。
3.言語的な説得や暗示・・・「君ならできる」という声かけや、チームプレーの間での声かけなどです。
4.生理的状態・・・生命力がみなぎる状態。ドーパミンが出ている状態の事です。

確かに、自分自身が体験していればもちろんですが、良い本を読んだときやメディアで素晴らしい話に触れたときに、自分にも何かが出来そうな気がしてきます。
そして、それにはやり方のお手本が有るように感じています。

また、仲間がいて励ましていてくれれば自分の喜びをみんなの喜びと感じる事が出来ます。
そして何かを成し遂げれば、みんなも喜んでくれるという貢献的な感覚も生まれてきます。

人は、自分の達成感や他者への貢献性でドーパミンを出しながら「やってみよう!」と今日を頑張ることが出来るようです。
ちょっとした気付きを重ねながら、効力感を高めて行きたいと思っているのです。


出来ていないと思うことがたくさん有ります。
努力しようと思っても、出来ないこともあります。

そんな時は、周りを見渡してみることにしています。
そうすると、それがそれほど苦労になっていない人がいます。
そして、その人がその事をすると明らかに私より精度の高い結果を得られるのです。

人には向き・不向きがあります。
でも、学生の時にはその不向きを鍛えなければならないと教わったように感じています。
そして、その考えは深く心に刻まれていました。

やっと、最近になって不向きなことで大きな結果は得られないことが分かってきました。
自分が最大限努力を惜しみなく続けられること、ちょっとの努力で苦しくなることを探ってみたいと思っています。

そんなことを続けていると、周りの人のすばらしさが見え始めます。
周りの人には私にない素晴らしく優れた才能が輝いているのです。

今日もそんな才能を繋いで行きたいと思っているのです。



誠実であると言うことはどんな事なのかと思いました。
ヘンリー・クラウドと言う人はその著書の中で、人徳を備えるための6つの資質をこのように伝えています。

1.信頼を築く能力:他人と関わり気遣い、共感し、助け時には彼らに自らの弱さをさらけ出すことのできる力
2.真実を追究する能力:希望的観測えなく、正確な事実の把握をいつも心掛け、他の人にもそれを率直に伝える事ができる力
3.使命を果たす能力:何を成すべきかを理解し、準備を整え、目標を明確にし、そのために精一杯努力できる力
4.問題を解決する能力:問題から目をそらさず、失敗を糧としてそこから学び人のせいにせず、生産的に解決できる力
5.成長を求める力:現状に甘んじることなく、あくなき向上心をもち、自己鍛錬を怠らず、果敢に新たな挑戦をし、またそのために休息できる力
6.自分を超越する能力:自己中心的なものの見方ではなく、自分を超えたもって大きなものを知り、自らの人生の意味を理解し、その大きなもののために奉仕できる力

本当にこのようでありたいと思っています。
自分がただ漠然と誠実でありたいと思い生活している中で、このような具体的な言葉に触れたときに感動してしまうのです。

”ありたいと願う”だけでは、指針がなく行動にも迷いが生まれてしまいます。
こんな言葉を、胸に刻んでおきたいといつも思っているのです。


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