夢塾 ~私の夢探し~

人生を豊かに変える毎日の気付きを書き込みます。

2011年02月

今、たくさんの勇気ある人たちに出会っています。
その方々は、ご自身の夢に向けて頑張っているのです。

勤めていた会社を辞め、自分で起業し思いを伝えてゆく・・・
夢だけで叶うことではありません。

でも、その人達の素晴らしいところは仲間を作ろうとしているところだと感じました。
人は一人では何もできないのです。一人でできることは限りがあると思っています。

自分の至らない部分に、落ち込むこともあります。
自分が成し遂げた小さな成功に心躍ることもあります。

どんなときにもその時に、自分の気持ちを受け止めてくれる人が必要なのです。
それは家族かもしれません。
仲の良い友達なのかもしれません。

そんな人と人との繋がりを、紡いでゆく勇気を持つことが第一歩になると信じているのです。
叶うという時も、口で十分語ると書きます。
信じると言う時も、人に言うと書きます。

素直な心で、たくさんの人に語っていくことで同じ志の人たちと繋がっていけるのだと思っています。

今日もそんな繋がりを求めていきたいと思っているのです。



マザー・テレサが愛の反対は無関心だと言っています。

そして、米国のユダヤ人作家でノーベル平和賞受賞者、エリ・ヴィーゼル[エリエ・ヴィーセル]は、「人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」として、この様に言っています。

今日我われは知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ


無関心であることは、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者になってしまうことです。
そしてそれは、弱い立場の人たちに強い権力で攻撃している人たちの片棒を担いでいると同じ事になると言うことをこの言葉で感じました。

「では、どうする?」と考えてしまうのですが、心に刻んで置かなければなりません。
そして、せめて心の中だけは熱く持っていたいと感じたのです。

人の出会いは素晴らしいものだと思っています。
そんな時はいつもこの言葉を思い出します。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中の人と住みかとまたかくの如し。」

そして、その出会いを一瞬のことと流すことのないようにしたいと思っているのです。

たくさんの方々と繰り返してきた出会いの中で、どんな人にも、感動的に素晴らしいところがあると感じています。
その素晴らしいところは、私がどんなに学びたいと思っても近づくことはできても学びきるとはできません。
その素晴らしいところが、その人の強みなのだと思っています。

でも、多くの人がその素晴らしいところに気付いていないこともあります。
どれだけそれが素晴らしかを説明しても、その人は納得していなかったりするのです。

人はそれだけ自分自身の可能性を信じていないのかもしれません。
今年の7月16日講演会をプロデュースする鶴岡秀子さんが、「全ては、自分を信じることから始まる」と言っています。

他人の強みも自分の強みも、他人の弱さも自分の弱さも、柔軟に受け止めてそれを信じてみたいと思っています。
その出会いを一期一会の出会いとするために・・・


小さな事から大きなことまで、たくさんの人にそしてたくさんの事に毎日助けられています。
そんな人たちにどのように恩返しをしたらよいのだろうと考えます。

そばにいる人たちには、「ありがとう!」と言うこともできますが、お会いしたこともない人やお会いするすべのない人たちもたくさんいらっしゃいます。

遠方から私を応援してくださる人たち
今日読んだ本から私を支えてくれた言葉
今は会う機会がなくなった諸先輩方
今は会う機会がなくなった友人達

思い出すとワクワクとするような思い出と気付きがたくさん折り込められたそれらの支えに感謝しています。
そして、自分自身もさりげない支援をできる人とでありたいと願っています。

人を支えるということにもたくさんの方法があります。
今、ニュージーランドで起きている地震では手厚い支援が必要です。

でも、小さな支援はスパイスのようなものです。
本来の味付けはその人自身がしなければなりませんが、その味付けにほんのちょっとの工夫を凝らせるような気付きを与えることができることが最大の支援だと感じているのです。

それに気付かせてくださった、たくさんの私を支えてくださった方々のように今日も過ごしたいと思っているのです。





「言葉はブーメランのように自分に戻ってくる。」
こんな言葉が、ある本に書いてありました。

ほ、ほ~!とうなづいてしまったのです。

思わず心とは違う言葉を口にしてしまう瞬間があります。
手を伸ばしてその言葉をもう一度口の中に戻したいほどです。

そんな時は、心の中に罪悪感もありその場の雰囲気も一瞬にして冷たいものにしてしまいます。
それほど言葉には大きな力があるのです。

また、その言葉を発する人の概念的なイメージも左右します。
同じ言葉も、発する人によってまた受け取る側のその人に対する概念によって受け止め方も違うのです。

自分のイメージがどんなものであるかを知りたいと思っています。
自分の心の中にはいつも変わらぬ思い(信念)があっても、それを理解してもらうことは非常に難しいと感じています。
それは、自分がその思い(信念)ほどの行動をしていないからでしょう。

自分のイメージや相手のイメージをわだかまりなく話し合える仲間が増えることをいつも願っているのです。
それが叶うならば、自分が発する言葉の影響も、自分の行動が与える影響も第三者的に理解することができます。
そして、言葉と行動に心を込めるにはどうしたら良いかが分かるのではないかと感じているのです。

自分の想いが素直に通じる言葉と行動ができるために、自分が持つ自分自身の概念も見直したいと思っているのです。





ある本の中に、「人の考えはラグビーボールのようにどこに飛んでいくか分からない予測不可能なもの。それは知識と感情と意志が混ざり合って形成されているから。」と書いてありました。

この「人」は他人と言うことでなく自分だと思っています。
自分の考えもこれほどどこに飛んでいくか分からないものなのです。

でも、そんなどこに飛んでいくか分からない感情に気がついたとき大切なことは、その考えが怒り、不満、嫉妬、心配、ストレスや恐れなのだったら、それをできるだけ早く捨てるべきだということです。

子供の時にはそれができています。
「○○ちゃんが、取った~!」
「もう絶対口聞かない!。」
なんて、言っていても、2,3分後にはまた同じように一緒になって遊んでいます。

今日もこんなこんな子供のように、ラグビーボールのような感情と向き合って必要ない考えをリセットしたいと思っているのです。

アサーティブでありたいと思っています。

アサーティブとは、
相手の権利を侵害することなく、誠実に、率直に、対等に、自己責任で自身の欲求や感情を表現することであり、自分も他の人も大切にするコミュニケーションの方法です。

アサーティブであることは、自分の権利を守ることであると同時に、その権利が他の人にも同じだけあることを強調しています。

1.私にもあなたにも、社会的役割にとらわれることなく、自分のための優先順位を決める権利があります
2.私にもあなたにも、能力のある対等な人間として、敬意をもって扱われる権利があります
3.私にもあなたにも、自分の感情を言葉で表現する権利があります
4.私にもあなたにも、自分の意見と価値観を表明する権利があります
5.私にもあなたにも、「イエス」「ノー」を自分で決めて言う権利があります
6.私にもあなたにも、間違う権利があります
7.私にもあなたにも、考えを変える権利があります
8.私にもあなたにも、「わかりません」という権利があります
9.私にもあなたにも、欲しいものやしたいことを求める権利があります
10.
私にもあなたにも、人の悩みを自分の責任にしなくてよい権利があります
11.私にもあなたにも、周囲からの評価を気にせず人と接する権利があります
12.私にもあなたにも、常にアサーティブでなくてもよい権利があります

こう考えることができると、とても気持ちが楽になります。
そして、どんな感情にも左右されなくて良いのだとも思うこともできます。

これをある人は
、相手から話しかけられるのを待つのではなく自分から会話を始めたり、目標を設定して、達成に努力するなど、積極的に自分を表現することだとも言っています。


他の人のこれらの権利を大切にするということは、他の人に依存せず限りなく自立するための方法なのかもしれません。
今日も、アサーティブな一日を過ごしたいと思っているのです。


今、成すべき事が何のためなのかをしっかりと納得したいと思っています。

進めなくてはいけないと思っていても、環境に状況が納得できていなければやりたくないと思うことがありますね。
これをある人は、心の抵抗スパイラルと言っています。

そんな心の抵抗スパイラルに陥ったとき、「何だか違う!」という漠然とした気持ちだけで心を閉ざしてしまっているときは無駄な時間を過ごしながら、自分の成長をも逃してしまっていると感じます。

そんな時は、何が違うのか?それはどこから起きているのか?どうなればうまく行くのか?をしっかりと考えるために時間を注ぐべきでしょう。
そうすれば自分の思い過ごしの部分や、人の言葉に惑わされている部分が明確になります。
そして本当に今、成すべき事が何のためためなのかを自分の心に落とし込むことができます。

抵抗のスパイラルに陥って、そのスパイラルを全面に押し出した行動は周りの環境を悪化させることになります。
そして、正しい判断基準を失うことになるのです。

どんなに自分の思い通りに行かないときも、周りの状況に流されることなく自分が今なすべき事の意味を理解しそれを進めることに時間を注ぎたいと思っているのです。

その事が、必ず未来に繋がるようにするために・・・

こうすればうまく行くのに・・・
と思っていても、もの事がそのようには行かないことがあります。
その壁は権力であったり、他人の感情であったりそして自分の小さな感情であったり・・・

権力や他人の感情は時間をかけて対処していかなければならないのですが、自分の小さな感情はできるだけ早くリセットしなければなりません。

その感情は心の中で想像力をかき立て、その想像力は「引き寄せの法則」とは逆行してネガティブな想像力になってしまっているからです。

そんな時こそ、勇気を振り絞って自分自身に質問します。
その感じている感情は何なのか?
その感情をやめることができるのか?
できるとしたら、今できるのか?

そうすると、個人的な小さな感情から生まれていることは、未来のためやみんなのためにならない部分が明確になり始めます。
そしてその小さな感情をリセットできると感じています。

小さな感情は、どこか自己中心的です。
自己中心的な感情にとらわれはじめると、起きてくることが不思議と自分の思い通りに行かず自己中心的な感情のスパイラルに巻き込まれます。
そして最後にはそんな小さな感情に左右されている自分自身に対して、自己嫌悪に陥ってしまうのです。

こんな小さな感情をリアルタイムにリセットできる自分でありたいといつも思っているのです。




毎日の生活の中で、興味の虫が騒ぎます。
何故?
どうして?

自分の興味を探ることは、ワクワクと楽しいことです。
仕事で分からないことがあっても、心の中の興味の引き出しに入れておく
生活の中でで分からないことがあっても、心の中の興味の引き出しに入れておく

そうすると何かのタイミングで「ああこの事!」と、その興味か知識へと変わっていく瞬間にであうことがあります。
人は、目から情報を吸収しやすい人
耳から、情報を吸収しやすい人
体で(実体験する事で)、吸収しやすい人がいるようです。

私はそんな切っ掛けを、会話の中から得ていると感じています。
相手のたわいもない一言から、興味の糸口がほどける瞬間があります。

そんなときほど、ワクワクと嬉しくなることはありません。
心の中で、「ヤッター!」と叫んでしまうほどです。

興味の引き出しが大きくなればなるほど、明日は楽しいものになります。
その興味の糸口は未来にあるからです。

いつも、どんな状況であっても興味の引き出しを溢れるほど一杯にたいと感じています。
今日、出会う人との会話を弾ませるために・・・

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