夢塾 ~日々の気付き〜

人生を豊かに変える気付きを書き込みます。

2011年01月

ノーベル物理学賞を受賞した益川教授は、メディアで異彩のように取り扱われていました。
でも、本当にそうなのでしょうか?
私にはそれが人としての普通の姿のなのではないかとも感じています。

今、このブログを書きながらも2008年の受賞当時に行われた京大での学生対話集会を聞いています。
その場でも、後輩の教授から「益川先生」と呼ばれるや否や「こら~!」と一言・・・
その教授はあわてて、「益川さん」と呼びなおすのです。
会場は笑いの渦に巻き込まれ、緊張感のない空間に変わっていくのです。

名古屋大学の大学院への試験では英語は「0点」だったようです。
まったくできなかったのではなく、あいまいなことは書かなかったのだと感じています。
それだけご自身の専門性への可能性に自信があったのでしょう。

そんな益川敏英氏は恩師である坂田昌一氏の後押しによって大学院に入学できたました。
坂田教授の授業やゼミは、自由な議論で溢れていたようです。
その自由な議論の中で、友人と喧嘩になるまで激論を交わし、益川教授の物理に対する専門性は磨かれていったとご自身も話されています。

坂田教授が導いた自由な議論は、坂田教授の持つ公平な心が表れていると感じています。
坂田教授は亡くなる前にこのような言葉を残しています。
兼聴則明(あわせて聴けばすなわち明るい)
偏信則暗(へだてて信ずればすなわち暗し)

ノーベル賞は生存していなけれな受賞できない賞です。
そして受賞までには長い年月が必要です。
そんな受賞の陰に様々な方々の導きがあったのだと感じています。

小さなことでも意見を交わしあえることができる。
そんな忌憚のない関係を築いていきたいと思っています。









最近よく、セルフイメージという言葉に触れることがあります。

モルツ博士という形成外科医は、体の傷は癒えているのに気持ちが暗くふさぎ込む患者を診ている内に、人間には表面的な顔に加えて、心の顔があると考えるようになったようです。

そしてこの心の内面にある顔と心こそが、セルフイメージと考えました。

自分で自分をどう見ているか?
自分自身をどう評価するか?
その範囲で自分自身を演じているといいます。

だから、その思い込みは人生の方向性に大きな影響を与えることになります。
そして、その思い込み以下にも以上にもならないのです。


自分で自分をどう見ているか?
自分自身をどう評価するか?
それには、過去の悲しい出来事、激しい後悔、将来への不安感などが影響しているようなのです。
ということは、過去の楽しい出来事、充実した達成感、未来への希望が自分自身の評価基準を高めることになります。

どちらにしても、自分の思いに左右されているということです。
起きている事実を、地獄と考えるか、天国と考えるか。
そんな自由意志がそれから先の引き寄せの力になってくるようです。

できるならばセルフイメージを高めて、自分の力で様々なことを引き寄せられればと感じているのです。




毎日の仕事の中で、面倒な事を大切にしています。

面倒だと思うことには、三つの種類があると思います。
1.必要性だけれど自分が苦手で面倒だと思うこと
2.必要性だけれど、その必要性にしては手間暇が掛かっていること
3.必要性はないけれど、慣例としてやっていること

自分が苦手で面倒な事は、周りを見渡してみてください。
その面倒な事がそれほど面倒だとは感じない人がいませんか?
きっと、居るはずですよ。
そんな人がその事をし始めると、予想以上の成果が上がり周りから感謝されます。
そうするとますます、モチベーションが高まりさらに成果が上がります。
できるならば、その人に任せましょう。

必要性にしては手間暇が掛かっていることは、あらゆる人に相談してみてください。
思わぬ人が、助け船を出してくれます。
それは行動かもしれません。ノウハウかもしれません。
いや、その手間暇が必要なのだという説明かもしれません。
とにかく、無駄であれば手間暇が激減するはずです。
また、無駄でないとすればしっかりと納得することによって、面倒ではなくなるはずです。

必要でないと思うことで慣例となっていることは、そう思う理由をしっかりとまとめてやめることを提案しましょう。
話している間に必要性を見いだすかもしれないし、「なるほど」と理解してもらって面倒な仕事がなくなるかもしれません。

どの事においても、自分が行動を起こすことです。
言われたことを鵜呑みにするのではなく、どんな些細な仕事も少しづつ変化をつけることで、面倒だと思うネガティブな感情をコントロールしたいと思っています。






ある科学者に今の日本の状態を訪ねたところ、
「その分野の化学の業績に対してアメリカに1勝10敗・・・
科学者の数も論文の数も10分の1、そしてこれからもこの状態は変わらないだろう。
だから、綱引きでかなわないなら、その綱を作れば良い、そして日本なしでは綱引きができないようにしようと考えている。」
と答えていました。

いつも、こんな時日本のサポート力のなさを感じずにはいれません。
本当は、ご自身の研究のみに没頭したいでしょう。

そして、これからの日本が力を高めるには何が必要でしょうという問いに対して
「課題は人だ。知的財産や広報の専門家。高度な技術を持つ研究支援者。日本全体で必要な人材をそろえる必要がある。」
とも、答えています。

日本は暖かなきめ細やかな国で有りながら、どこか利己主義で冷たい国でもあるように思います。
世界に誇れる知識を持つ人たち・・・いえ、それほどの事でなくても
専門で成果を出している人、成果を出したいと常に努力している人を世の中(世界)に送り出すシステムは有るのでしょうか?

今、話題になっている「タイガーマスク」の寄付にも表れているように思います。
小さな親切はいとわないし、小さな親切をしたいと思っている人たちはたくさんいる。
個人で動ける人はたくさんいるけれども、みんなの力を集結するほどの力を持つ人は本当に少ない。

でも、もう時間がないと感じています。
成人式を迎えた若者たちがワクワクとするような、日本に生まれて事を誇れるような、イノベーションが起きてほしいと感じているのです。

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情けあるなむ 隠さふべしや

戦いに敗れ、奈良の明日香から近江に遷都するときに詠った額田王の詩です。

明日香を離れるとき、慣れ親しんだ三輪山をせめて雲よ隠さないでくださいね。
心があるならば・・・
と、詠っています。

あらゆる物に魂があり心があると考えていた、万葉の時代の心が染みこんだ詩のように思います。

人はこれほど物を思う心があるにもかかわらず、戦いによって人や物を傷つけるのです。
世の中で一番矛盾した動物なのかもしれません。
そんな動物が、この世の中を支配しているのは何故でしょう?
いえ、支配していると勘違いしている?
本当はもっと大きな自然の力に支えられているのに・・・

日々の生活の中でも些細な心の戦いがあります。
その戦いで得られるものは何なのでしょう。
あまり多くの物を得られないとしたら、得られる物がすべて自分に帰属する物なら、
もう一度考え直してみたいと思っています。

雲にも心があってほしいと願う思いをもう一度思い出しながら・・・


年末の日経新聞に「自分を元気づける言葉」という特集をご紹介する3日目です。
今日は、行動で気分を変えるなら何をするかというアンケートの話です。

1.とりあえず寝る
2.「よし!」と大きな声を出す
3.外を歩く、体を動かす
4.好きな音楽を聴く
5.グチ・不満を思いっきり吐き出し、聞いてもらう
6.甘いものなどを食べる
7.深呼吸し、胸を張る
8.酒を飲みに行く
9.好きなだけ泣く

また、仕事で気分が乗らないときはどんなときかというアンケートの結果は
1.正当に評価されない
2.仕事のやりがいがみいだせない
3.同僚や後輩との人間関係がうまくいかない
4.上司にふりまわされる
5.努力を認めてもらえない

どの項目もなるほどと心に響きます。
私の友達の中には、どんな悲惨な状況でもそのグチや不満を打ち明けているのに、聞いている私はゲラゲラと笑い転げてしまうことがあります。
その時私は、ゲラゲラと笑いながらも”凄い人だな!”と感心してしまうのです。

その人もしゃべりながらストレスを発散させ、聞いている私もストレスを発散することができる。
これほどの癒しを与えてくれる人はいないと感じています。

何も解決していないのです。
でも、話をしている間にそして話を聞いている間にそんな事はどうでも良いことになっているのです。
それよりも、「あ~楽しかった。明日も頑張ろう!」と思えている自分がいるということです。

本当に心が落ち込みきってしまっては、こんな話も楽しいとは受けとめられませんね。
だから、ほんのちょっと落ち込んだら行動で気分を変えられる方法を自分で備えておくことが大切だと感じています。

素直な心を保ち続けるために、心の座標を「0点」に戻しておきたいといつも思っているのです。

年末の日経新聞に「自分を元気づける言葉」という特集をご紹介する2日目です。
その記事の中で、「自信を取り戻すための3ヵ条」が載っていました。

1.自分を肯定する
人は承認欲求が強く、認められることで安心する。
まず、自らをほめることで一歩踏み出す勇気がわく。
頭の中で唱えるのではなく、声で発することも重要、
そうすることで気持ちの持ち方も自然と変わってくる。

2.明るく開き直る
もう一歩踏み出せないのは、「こんなことをしたら恥ずかしい」「失敗するかもしれない」という気持ちが残っているから。
開き直って先ず行動に移そう。
その際、楽天的に頑張ることも重要で、悲観的の過ごすのとでは結果が違ってくる。

3.自分を追い詰めない
目標に向かってがむしゃらに頑張りすぎる人は思い通りにできない自分にいらだち、大きな挫折になることもある。
違う見方もあると自らに言い聞かせ、リラックスさせる。
気分を一新すれば、意欲もわきやすい。

と、書いてあります。
自分をほめられるようになるためには、いつも周りの人をほめる習慣を身につけることが良いのではないかと感じています。
ネガティブな事が起きても、そのネガティブな事が最小限に済んだのではないかと考えると、その事にかかわった人の失敗ではなく、日頃の丁寧さや細かな心遣いが見えてきます。
そんな時、その事をさりげなくほめてもらえるとしたら心に響く言葉になると思っています。
そしてほめることは、ほめられることより嬉しい喜びに変わってきます。

開く直ること、居直ってはダメと何かに書いてありました。
私はいつも、「も~ほんとに・・・ダメなんだから」なんて弱いところを気軽に指摘される人を凄い人だと感じています。夫婦や親子ほど近い関係であったら、この言葉は厳しい言葉になるのかもしれないのですが、友達や職場などでの付き合いの中で、こんな風に弱みを指摘してもらえると言うことは、どんな関係であれその弱みを助けてもらえると言うことなのです。
その人は「徳」があるのではないでしょうか?
「徳」という字は、直と心と行うという字からうまれています。
素直な心で行うと徳がうまれてくると言うことです。
何事も恐れず、素直な感性で行動を起こせば何か得るものがありそうです。

ネガティブな感情を振り返ると、起きている事実を直視していないことがあります。
事実をちょっとだけ垣間見て、もっと悪くなる状況を想像してさも起きているように思い込んでしまうのです。
人は多くの場合、ネガティブな事へのイメージ力が高いのかもしれません。
これも、できるだけ日々の生活の中でネガティブな事を打ち消していく癖を身につけることが大切です。
ネガティブな事は備えをするだけ、もしそんな事が起きたらどのようにそれを切り抜けて行くかを考えておくだけにしたいと思っています。
それ以外のネガティブは切り捨てることができるようになりたいものです。

今年の目標が見えてきました。
人の素晴らしいことを見つけてほめること
素直な心で行動を起こすこと
ネガティブな事は心の備えのみとして、後は切り捨てること
そして、ほんのちょっと頑張って(顔晴って)みること

年末の日経新聞に「自分を元気づける言葉」という特集が載っていました。
今日からの3日間は、その記事をご紹介します。

先ずは、モニターで「自分を元気づける言葉」を募集し、その中からいくつかの選択肢をもうけて、厳しい状況に直面したときや気分が乗らないときにどの言葉で気持ちを切り替えますかという質問を、インターネットで問いかけしたようです。

回答の1から7までをご紹介します。
1.なるようになる、なるようにしかならない
2.まあいいか、気にしない
3.人は人、自分は自分
4.明日は明日の風が吹く
5.時間が解決してくれる
6.こういうときもあるさ
7.人生に無駄なはい

回答の1番には年齢層で受け取り方が違う事が書かれていました。
中高年・・・今苦しくても打開策が出てくる
中高年(女性)・・・悩んでいる時間がもったいない
若年層・・・期待するから失望する

一概に言うことはできまないと思いますが新聞には、
中高年は高度経済成長を支え頑張ること当然だった時代に、その頑張っている肩の力を抜くために、この言葉を使っている。
一方、若年層は自尊心が強い反面、否定的な評価を恐れる人が多く、この言葉を心の防波堤にしている。
と、書いてありました。

どちらにしろ、短期間に1000人余りのひとの回答が得られたと言うことです。
適切な情報+意志決定する人+行動する人は、20% X 20% X 20% =0.8%
この数字を当てはめてみると、この結果は125000人の意見と言うことになります。

私も、これらの言葉を使っています。
でも、もう一つ使いたい言葉がありました。
「みんな頑張ってる。本当に偉い!」と大声で声かけしたいと思ったのです。

最近は、グローバル化の中で様々な横文字に遭遇します。

そのたびに、知識のない私はこの言葉はどういう意味?と、そこから始まるのですが、
日本語では、やれやれと小難しい漢字が並ぶ表現も、とてもすっきりとしたものになっています。

「ベスト メソッド ルール」は、税務で最近取りざたされている言葉です。
私の解釈が間違っていなければ、
「法に縛られることなく、筋道の通った方法で行うこと」です。

これは、日常でも使えそうですね。
筋道の通った考え方を持てている時は、うまく事が運びますが、
少しでも、迷いがあると、うまくはいきません。

何故、迷いがうまれるのでしょう。
その時、その時の軸が決まっていないからかもしれません。

有ることをに対して、その事で最大の結果を導くにはどうすべきか?
・・・そんな、大げさな事ではないですよ・・・
買い物するとき、どう回れば効率が良いか・・・なんて程度の事からです。

でも、それを考えたとき、自分にリスクが生じることがありますね。
私だけが何でこんなに走り回らなければいけないの?
ちょっと損だな?と心がつぶやきます。

そんな事を考えると、軸が揺らぎ筋道の通った考え方からちょっとズレてしまうのだと思います。
そのズレを、周りは許しません。

ちょっと損だなと思っても、それはきっとベスト メソッドだと思い切って腹を決めて進めて行きたいものです。
それが、未来に繋がることであるならば・・・

親戚も帰り、正月気分も一段落です。
今年も、楽しくのんびりとした正月を過ごすことができました。

そんな中でも、今年取り組む新しいことを考えると、不安と同時にワクワクとした希望の様なものがあふれてくるのです。
それには、何の根拠もないのですが、ただ、これまでの出会い、そして今年新たに出会う人たちは、私の人生に取って素晴らしい財産となるように感じているのです。

人の出会いは不思議なものです。
今までの私は、誰かを頼ることなく一人で行動していたのかもしれません。
誰かを頼ると言うことは忍耐が必要です。
そして、何故その人を頼るかと言う「動機付け」も必要だと感じています。

その「動機付け」は自分に対する「甘え」と「ずるさ」とだと勘違いしていました。
そして、苦手な事こそ自分がしなければならないことと思っていたのです。

でも、周りを見渡してみると”私が苦手なこと”を、”いとも簡単に”こなしてしまう人たちがたくさんいることに気がつきました。
そして、その人たちがそれをすることを別に苦にはしていないという事実です。

「人には強みがあり、弱みがある。」

今年は是非、それぞれの人の強みは何かと言うことを考えて、その強みを生かすことのできる状況は何かを考えて見たいと思っているのです。

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