夢塾 ~私の夢探し~

人生を豊かに変える毎日の気付きを書き込みます。

2010年11月

今年、出会った人たちは何故か感謝に満ちあふれている人たちでした。

その人たちは異口同音に、感謝の言葉を口にします。
そして、生きているのではなく、行かされていると・・・

そんな方々に感化されたのか、最近の私は毎日が楽しくなっています。

それは、テレビをみて”ボ~”としていても、私の未来の為に一生懸命考えてくれている人の姿を感じるからです。
医療の明日の為に、研究をしている人
化学の為に、骨身を削っている人
物理の為に、試行錯誤を繰り返している人
水の浄化の為に、寝る暇もなく考えている人、etc.

こんな人たちが、こんな怠け者の私の為に頑張ってくれています。
そんな事を考えると、”いや~!悪いわ・・・”と思いながらもニヤリとしてしまいます。
こんなに愛されてい良いのだろうかと・・・

これくらい、どうしようもないくらいの勘違いをしてみると、感謝の気持ちで心がいっぱいになるのです。

数日前の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

-下山の熊を助けたい-
ツキノワグマの出没が相次ぐ岡山県の美作市に、県内の85歳の女性から「熊の食事代に」と13万円の小切手が届いきました。
この女性からの最初の手紙では、無策の行政の責任として、冬眠できず命をかけて下山する熊を助けてくださいと言う内容だったようです。
市は、女性に市としての対策の説明と、熊の出没による住民への被害の状況を説明した文章を送ったのです。
すると、女性からまた手紙が届き、その中に13万円の小切手が入っていたのでした。

その女性は年金生活でした。
年金の中から出す13万円はどれだけの思いが込められているのかと考えたとき、その文章を読みながら涙が出たのです。

熊が悪い訳ではない。
市が悪い訳ではない。

では、何が問題なのでしょう?

40年も前になくなった文豪、三島由紀夫はこんな日本の行方を書き残しているようです。
 無機質な、からっぽな
 ニュートラルな、中間色の、富裕な
 抜け目がない、ある経済大国が
 極東の一角に残るであろう

40年も前に自己の思いを遂げるために死を選んだ文豪が、未来の日本をこれほど明確に描いた「この言葉」を思うとき、これらの未来をより良いものにするための行動が<今>必要なののではないかと感じました。

そして、小さな1歩から進めて行こうと思っているのです。

先日、新聞の広告欄に有るアーティストのコンサートの案内が載っていました。
たぶん、1,970年後半から1,080年代前半にかけて活躍されたアーティストだったと思います。

その案内を目にしたとき、何曲かのそのアーティストの曲を、数々の思い出とともに口ずさんでいました。
音楽は不思議なものです。思い出と言う映像と曲が一致しているのですね。
その日は、朝からずーとそのアーティストの曲が頭の中を渦巻き、当時のことを思い出す楽しい日になったのです。

なんであの時あんなことで悩んでいたのだろう。
なんであの時あんなに可笑しかったのだろう。
・・・悲しかったよな。楽しかったよな。・・・・

その中に”ささやかなこの人生”という曲がありました。

花びらが散った後の 桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に 見せたくはないものがあるよね
だけど人を愛したら 誰でも心の扉を閉め忘れては
傷つきそして傷つけて 引き返すことのできない人生に気がつく
優しかった恋人たちよ ささやかなこの人生を
喜びとか 悲しみとかの 言葉で決めてほしくはない

確か、こんな歌詞だったと記憶しています。
あれから数十年・・・本当に人生はささやかなものだと感じています。
そして、様々な感情に満ちあふれたものでした。

喜びも悲しみも豊かに”この人生”に降り注いでほしいと感じたのです。

頑張って何かをしているとき、ついつい自分一人ですべてをしようと思ってしまいます。
そうなると、何故か人を責める言葉が口をついたり、
大変だ!大変だと口癖のように言ってしまったりします。
それは、できないことまで頑張りすぎているのだと気付きました。

人には強みと弱みがあります。
そして、それは人ごとに違うのようなのです。
自分が弱いことは、人も嫌なことだろうと感じてしまうのですが、意外とそうではなさそうです。

”あ~ぁ、私のここを支えてくれる人が居ないかなぁ~?”なんて思っていると、
居るのです。それもすぐ傍に・・・・
そしてその人は、その事がワクワクと楽しめることだったりすることに驚いてしまいます。

そうなると、任せられる人とゆだねる人との間には信頼感が生まれてきます。

こんな、支え合う輪が大きくなればなるほどワクワクと楽しい毎日になってきます。
誰もが、楽しいと思うことに力を注ぐことができるようになるからです。

できる人ができることをすればいい!
こんな、簡単ことが心に落とし込めれば、互いをリスペクトすることができるのだと思っているのです。

心が満たされる時は、どんなときなのでしょう。

本当に些細なことに出会えたとき私は心が満たされます。
暖かな笑顔
心ある言葉
思いやりある行動
そんな瞬間で出会えたとき、”ありがとう”と心の中でつぶやくのです。

出会えたその人たちは、どんな楽しい日々を過ごしているのでしょう。

テレビの番組で、ある著名な企業家が子供たちと話していました。

誰かの為になる行動をしたいと子供たちが言い始めました。
その行動で私も幸せになると・・・
でも、その人は何度も子供たちに問いかけるのです。
私もですか?私がではありませんか?
子供たちは、”私も”です。と強く応えます。

それから、その人は、コップと水を取り出します。
そして、子供たちにいうのです。
その行動は、この自分というコップに水を注ぐことだと考えてください。
このコップの外側には、自分以外の人という大きなコップが受けています。

自分というコップに水が一杯にならない内から、その外側の大きなコップに水を注いだら自分のコップはいつまでも満たされません。
先ずは、自分のコップを一杯にする。
そして、そのコップからあふれ出た水で、自分以外の人の大きなコップを満たしていく・・・
これが、大切なことだと。

私は、その子供たちと同じく、大きくうなずいていました。
先ずは、自分のコップを一杯にすることから、始めなければならないと思ったのです。

学生のころからの友達の一人と、久しぶりに逢いました。

日常の様々な話の中から、いつしか気付きの話へと広がっていったのです。

彼女は10数年前、ご主人の転勤でデトロイトで暮らし始めました。
そして数年後、その周辺に住む日本人の子供たちを対象とした補習校に教師として勤め始めたのです。

そこで彼女は様々な経歴の人たちと出会いました。
海外協力隊で働いていた人
ニューヨークのジュリアード音大で学んだ人
主婦で有りながら留学して、高いスキルを身につけようと努力している人

安穏と主婦としての生活をしていた彼女は、”こんな生き方も有ったんだ”と感動したのです。
そして、自分が”井の中の蛙”だったことに気がついたのです。

その話を聞きながら、人は”井の中の蛙”であることに気付いたときにはもう
”大海”へ漕ぎ出していると感じました。
それは、丁度その当時、彼女の所を訪ねた私の目に、彼女は生き生きと輝いていたからです。

チャンスがあれば、多少の問題も躊躇もはねのけて、前に進んでみる。
そこで出会う、人や気付きは自分の人生を豊かなものに変えていく糸口になります。

今日も、出会いを大切にしたいと心から感じているのです。

昔、7年経ったら全身の細胞が新しい細胞に変わると、聞いたことがあります。

日進月歩の世の中ですから、それも今は研究によって、違う見解があるのかもしれません。
でも、私は信じています。7年後には変われるのだと・・・

若い時、未熟な自分に苦しみました。
自分が可愛がられるために、周りの人にする小さな意地悪
自分を認めてくれる人だけ示す、優しさ

こんな、自分を見る、もう一人の自分は本当に悩みました。
”これは、私が求めている生き方じゃない!”
そんな私を支えていたのは、「7年後には全部が変わる」という言葉でした。

周りにいらっしゃる、素晴らしい人たちをお手本に「7年後には、あんな風に・・・」と
思いながらここまで来たように思います。

そして今も、素晴らしい人たちに囲まれているのです。
その人たちは、毎日のように私に新しい風を送り続けてくださいます。
”こんな生きかたもありますよ。”
”こんな考えもできますよ。”
そんな暖かな方々に助けられながら、今も変わろうとしています。

7年後の新しい自分を目指して・・・

大好きなコーヒーの豆を買いに行くお店のオーナーと話をしていると、いつも何かの気付きを得るのです。

昨日も、仕事帰りコーヒー豆を買いに行きました。

そこで、最近起きている様々な話をしていく中で、”セレンディピティ”(奇跡にような偶然な・・・)出会いの
話になりました。
彼も、そんな出会いで起業したのです。

先日、ノーベル化学賞を取った先生もニュースでその功績を発見したことは
”セレンディピティな出来事だった”とおっしゃっていました。

そこで、セレンディピティに必要なものは何度だろう・・・と話しているうちに、
?心の中で、様々なことを煮詰めておくこと
?強く思うこと(切迫した状況)
?行動すること
ではないかということになりました。

そのとき彼が、「書き留めると言うことが、良いのかもしれませんね。」と一言!
「そうよね。」「日記?」・・・
「ブログ!」

今、私の周りで起こっている出来事はこのブログに書き留めることから始まっていることに気付きました。
こうして、書き留めなければ自分の思いを深く煮詰めていくことはなく、日々の忙しさにかまけ
発想をおざなりにしていたことでしょう。

”夢”はありました。でも、”夢”は”夢”でしかなかったのです。
夢を実現化するには、手足を動かし行動することが必要だったようです。

セレンディピティな出会いが今日も訪れますように・・・

今、毎日起きていることに運命のようなものを感じています。
数年前から、ただ漠然と続けていることが、私の”夢”を後押ししてくれているのです。

私はどちらかと言うと、ある人が言っていた”天国体質”と似ているように思います。
辛いことも、苦しいこともいつの間にか”良かった”と思っているのです。

そんな私が、できていなかったことは現状を変えるということです。
現状の辛さも、アッという間に楽しみに変わっていくので、現状のままで十分に満たされていたのです。
でも、ここ数年間”違う”と感じていました。
もう、今はアウトプットして、次のステップへ進むことはできないか?

でも、私に何ができるの?


そんな私に、ある”夢”が生まれました。
今、そのために動き出そうとしています。
海のものか山のものかも分かりませんが、とにかくたくさんの方々の力をお借りすることが
実現できればと思っています。

こんな行動の背景には、様々な運命のような出会いがあります。
そこには、私の話を受け止めてくださる、心優しい方々の姿が有ります。

行動し、出会いを作り、運命を繋いで行くこと・・・これが未来を創ると、心から感じているのです。

東京まで通っていたセミナーが、最後を迎えました。
楽しい・・・いえ・・・考えさせられるセミナーでした。

難しい課題が出されるわけではなく、自分と向き合うこと
人を支援することを考えさせられました。
人を支援することは、私にとっては人を気遣い、いたわることのように思えました。
そして、それは私の人生の課題である”本当の優しさ”に通じていました。

一個人に向ける優しさでなく、すべての人に注ぐ公平な優しさ・・・
それはその人の存在価値を認め、その人が伸びようとする力を引き出すことになるのです。
そしてそれは更に、自分自身の生き方をも考えさせられるものになります。
私自身にも、暖かな支援のまなざしが注がれているからです。

セミナーが終わり、空虚感におそわれるかと心配していたのですが、
翌日にはもう、次のステップに歩み出している自分がいました。

人と出会うことは、これほどまでに素晴らしい変化を与えてくれるものだったのです。
人と出会うには、まず自分自身が行動を起こすことです。
人と出会うことで、傷つくこともあるでしょう。悩むこともあるでしょう。
でも、すべての出会いが自分を育てていることを忘れないでほしいと思います。

出会いは未来に繋がっていると信じているのです。

このページのトップヘ